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かつて野庭に「地獄の一丁目」と呼ばれた地域があったって本当?

ココがキニナル!

小学生の頃、野庭に「地獄の一丁目」があるという話を聞きました。友達の多数が知っていて、先生は古地図で確認してました。どんな所なんでしょうか(さぶさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

かつて野庭に「悪魔王が支配する世界」という意味を持つ「第六天」という小字名があった。そこが「地獄の一丁目」と呼ばれていたかもしれない

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ライター:橘 アリー

地獄の一丁目は無い!?



小学校低学年の子どもにとって“地獄の一丁目という場所がある”という話は、とても衝撃的なものであるから、大人になっても記憶に残っているであろう。
 


現在の野庭(のば)の様子。中央の道路は舞岡上郷線、右側は野庭団地


現在の野庭は、大きな団地がある住宅地である。
 


地図で確認しても、怪しげな雰囲気は見当たらない



そんな野庭に「地獄の一丁目」と呼ばれた場所が本当にあったのだろうか?
あったとしたら、そこにはどのような云われがあるのだろう・・・。
さっそく調べていくことに。

“古地図に書いてあったという記憶がある”とのことなので、まずは図書館で古地図を調べてみた。
 


1862(文久2)年に書かれた地図(『お母さんが伝える ふるさと下野庭』より)


しかし、野庭周辺に“地獄の一丁目”と書かれた地図は見つからなかった。

そこで、以前にも何度か調査でお世話になっている、港南歴史協議会の理事で地図の専門家であり地図編集工房代表の長谷川敏雄さんに、“地獄の一丁目と書かれた場所がある港南の古地図”をご存じか聞いてみた。しかし、港南区の古地図に“地獄の一丁目”と書かれたものは見たことがないとのことだった。

さらに、野庭の歴史に詳しい港南歴史協議会事務局の茅野眞一さんに、“野庭にかつて「地獄の一丁目」と呼ばれた場所があったのか”聞いてみたが、野庭にはそのような場所は無く、そもそも野庭には“一丁目”という住居表示は無いとのことだった。
 


1887(明治20)年の横浜近傍図にある野庭の様子(古地図資料より)


このままだと「野庭には地獄の一丁目と呼ばれた場所はありませんでした・・・終了」ということになってしまう・・・。

今回のキニナル投稿の内容から推測すると、投稿者の“さぶさん”は年齢が40代後半位のよう。そこで野庭で生まれ育った同年代の方にも「地獄の一丁目」について聞いてみることに。
 


地域のことなので、野庭地区センターで聞いてみた


すると、40代後半の職員の方が「地獄の一丁目」というものは聞いたことがないが、野庭小学校の2~3年の時に“班ごとに、好きなものを選んで地域の歴史を調べる”という授業があったので、もしかしたら、その方の班は、そのような内容で歴史を調べたのかもしれませんねと話してくださった。
なお、ほかの40代後半の方々にも「地獄の一丁目」について聞いてみたが、やはりご存じの方はいなかった。

ちなみに、小学校に確認したところ、現在2~3年生で「町探検」というものを行っているそうである。
それは現在の町の様子を調べていくのが主のようであるが、年代によっては歴史を調べることもあるようだ。
 


いまでも小学校では地域を調査する授業が行われているそうだ


これで、港南区の地図や歴史の専門家の方々によると「野庭には地獄の一丁目と呼ばれた場所は無い」ということで、また、お話を伺った範囲内であるが40代後半の方々も「地獄の一丁目」というものは聞いたことがないと分かった。

しかし、「地獄の一丁目」そのものはないのかもしれないが、野庭の何かが「地獄の一丁目」と関わりのあるのではないだろうか。

そもそも「地獄の一丁目」というと、堂々と表面に出ているものではなく、ひっそりとどこか隠れた場所にあるイメージのものであるから、野庭の歴史のどこかに「地獄の一丁目」と呼ばれる所以が隠れているのではないか。

ひとまず、野庭の地図には「地獄の一丁目」そのものは無いと分かったが、歴史の中でそれと関わりがありそうなものがあるのか、資料で調べてみることに。
すると「第六天(だいろくてん)」という小字名が明治時代にあり、それに関わりがありそうな様子であった。
 


第六天の小字名が書かれている資料(『港南の歴史と文化』より)


資料によると、仏教において、煩悩を捨てられない餓鬼や人間などが生きる世界は六つに分けられ、下位とされる方から「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」「人間界」「天界」とよぶそうだ。

そのうち「天界」は「他化自在天(たけじざいてん)」「楽変化天(らくへんげてん)」「覩史多天(としたてん)」「夜摩天」「三十三天」「四大王衆天」の6つに分けられる。

「第六天」とは、その最上階「他化自在天(たけじざいてん)」のことで、仏教修行を妨げる魔王「第六天悪魔王波旬(はじゅん)」が住む世界とされているそうだ。つまり「第六天」は欲にまみれた世界を制する魔王が住む場所を指している、ということらしい。
 


第六天悪魔王波旬の絵(『港南の歴史と文化』より)


キニナル投稿にある地図の場所と「第六天」の場所は、同じ野庭であるが少し離れている。
 


今回投稿された地図
 


長谷川さんの地図より


そこで、まずはキニナル投稿にある「地獄の一丁目」の場所と小字名「第六天」の場所を確認してみることに。



「地獄の一丁目」周辺の様子は?



まずは、キニナル投稿にあった地図の周辺の様子について。
 


畑などがある、のどかな里山と言った雰囲気である
 

「地獄の一丁目」と関係がありそうな様子はないようだ


そして、この地域には浄念寺と野庭神社御嶽社(みたけしゃ)がある。

なお、野庭には野庭神社が2ヶ所あり、一つはこの野庭神社御嶽社で、もう一つは「第六天」にある野庭神明神社。通常は両方とも野庭神社と呼ばれている。
 


野庭神社御嶽社は、1570(元亀元)年の創建である


この神社には、以前に調査した「橘樹神社」と同じヤマトタケルノミコトが祀られているようだ。

また、浄念寺は1564(永禄7)年の開山で、御本尊は阿弥陀如来である。
 


浄念寺の様子


キニナル投稿にある「地獄の一丁目」の場所の様子が分かったところで、次は、「第六天」の様子を見てみることに。