100年の歴史ある料亭「金沢園」が「泊まれる文化財」になる?
ココがキニナル!
有形文化財の創業100年になる料亭「金沢園」をゲストハウス&レストランとして再生するプロジェクトが動いているよう。どのような歴史があり、どのような再生プロジェクトなのか調査をお願いします(まさしさん)
はまれぽ調査結果!
与謝野晶子も愛した、100年の歴史を持つ横浜市金沢区の料亭「金沢園」は、インバウンド需要を見越し、2016年7月を目安に建物の一部がゲストハウス&カフェレストランに再生される予定
ライター:岡田 幸子
歴史ある建造物の保存というと、公園の一角に残された記念碑的なものや、観光施設として再利用された建物が思い浮かぶ。こうした取り組みは、もちろん大きな意義を持つものだ。しかし、もっと「生きた」形で古い建物を残すことはできないのだろうか?
歴史が醸す趣を肌で感じたいのだ
歴史の片鱗を感じさせる空間で、「食べ」「泊まり」そして「くつろぐ」。そんな体験ができたら、かけがえのない記憶となって心に残ることだろう。
文化財の保存と活用を同時に模索する、そんな革新的なビジネスモデルへの挑戦が始まっている。舞台は国登録有形文化財を受けた横浜市金沢区の老舗料亭「金沢園」だ。京急金沢文庫駅から徒歩15分、新たな飛躍へ向けて、準備中の現地を訪れた。
国登録有形文化財の金沢園(※)
改装工事の只中にお邪魔した
創業100年の老舗料亭「金沢園」とは
金沢園の起こりは、ちょうど100年前の1916(大正5)年、横浜・桜木町で創業した料亭「満月」に遡る。1929(昭和4)年、料亭「満月」は金沢区柴町に移転。料理屋と旅館の機能をあわせ持つ施設である旗亭(きてい)「金沢園」として開園した。
料亭満月創業時の様子(※)
創業当時の金沢園 (※)
かつて、南側の前庭は亀木浦と呼ばれる入江につながっていた。大弓道場などのスポーツ施設や釣り堀、季節の花が咲く庭園などもあったという。横浜金沢観光を支える一大リゾート拠点だったのだ。
潮干狩りや海水浴、ボート遊びや釣り、遊覧船なども楽しめた(※)
金沢園は政財界や軍部の要人、さらには文人などから広く愛された。歌人・与謝野晶子は『横浜貿易新報』に金沢園の景勝を讃える次のような文を寄稿している。
1930(昭和5)年9月7日発行の同紙に寄せた『金澤の一日』より
「(前略)昔は兎も角、今日の金澤の景勝は此の亀木浦の方面を随一とせねばならない。殊に金沢園の中に包容された岬の上の松陰に立つと、右は遙かな内海直下の亀木浦、この二つの入江が望まれ、正面は横須賀港、左は外海(東京湾)の一帯と房総の諸山直下の小榮浦等が望まれる」
窓から見える庭の先に海が迫っていたらしい
「私は近縣(近県)の海岸線に於いて是程の美くしい(原文ママ)展望に接したことがない。(後略)」
一流歌人をもとりこにした絶景があったのだ(※)
1939(昭和14)年5月には、俳人の高浜虚子が、日本各地の景勝の地を訪ね、その風景を楽しむ会である「第四回日本探勝会」を金沢園で開催したそうだ。
与謝野晶子が歌会を開いた大広間
窓の外に広がる緑が美しい
そんな金沢園は、2004(平成16)年、国登録有形文化財に指定される。その後、時代を超えて料亭としての営業を続けてきた。そして、創業100年を迎えた節目の年に、次の100年を見据えて、建物の一部を有効活用するため、他の事業者へ貸し出すことも検討しはじめた。その後、方向性が決まったことで、2016(平成28)年2月、いったん営業を停止したのだ。