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住民の声によって作られた、創設100周年を迎えるJR辻堂駅の歴史とは?

ココがキニナル!

JR辻堂駅がキニナル。住民の声によって誕生したJR唯一の駅だというのは本当?(yossh0kさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

JR辻堂駅は100年前の1916(大正5)年、地域住民から集められた寄付により土地を提供して設置された請願駅だった。

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ライター:岡田 幸子

藤沢市の南西部にあるJR辻堂駅。周辺の居住人口も、通学、通勤の利用者数も多いにもかかわらず、東海道線の東京〜平塚間で唯一快速アクティに通過されるという・・・

 

 
「ちょっと残念な駅」としても知られている!?


そんな辻堂駅は、住民の熱意によって開設された駅なのだという。

 

 
藤沢市発行の『ふるさとマップ辻堂』にも・・・
 

 
「地元の皆さんが費用の全額を負担して完成を見た、日本で最初の請願駅」とある


駅の開設は1916(大正5)年、今年でちょうど誕生100周年を迎える。この節目に、辻堂駅の誕生秘話に迫ってみよう。


 

地元住民の出資で誕生した辻堂駅


 
JR東日本によると、辻堂駅の1日平均乗車人数は、2015(平成27)年のデータで5万7351人。東日本エリアで83位、神奈川県内でJR駅では14位の乗車人数を誇っている。

藤沢駅から約3.7キロ、茅ヶ崎駅から約3.8キロの場所にあり・・・

 

 
2駅のほぼ真ん中となっている


「2駅のちょうど真ん中あたりになるように作ったからですよ」とは、NPO法人「辻堂の民」のメンバーであり、「辻堂駅開設100周年記念事業実行委員会」副委員長兼本部長を務める永井洋一(ながい・よういち)さん。

 

 
生まれも育ちも地元・辻堂。生粋の「辻堂っ子」だ


「1872(明治5)年、日本で初めての鉄道が新橋〜横浜間で開通しました。1887(明治20)年に東海道線は国府津まで延長されましたが、当時の辻堂村付近には停車場は設置されていませんでした。国策としては東海道の宿場に鉄道の停車場も設置するという計画でしたから、まず宿場でもあった藤沢と平塚に駅が作られたのですね」

 

 
1951(昭和26)年ごろの線路と工場街(藤沢市文書館提供)


「1898(明治31)年には茅ヶ崎村の資金提供により茅ヶ崎駅が作られ、列車の本数も次第に増加。辻堂付近で生産されるサツマイモなどの野菜や辻堂海岸で獲れる魚介などは、鉄道を利用して京浜方面に盛んに出荷されるようになりましたが、わざわざ藤沢駅や茅ヶ崎駅まで運ばなければならないという不便があったのです」

 

 駅設立は住民の悲願となった(藤沢市文書館提供)


さらに、辻堂海岸には当時海軍の演習場があり、物資や人を運ぶ必要性も高かったという。そんな背景も受けて、1912(明治45)年ごろから住民による駅設置促進運動が始まった。

 

 
当時の辻堂海岸には広大な海軍演習場が広がっており(藤沢市文書館提供)
 

 
日清・日露戦争を経て人や物資を輸送する必要性も高まった(藤沢市文書館提供)
 

 
1943(昭和18)年3月ごろの演習風景(藤沢市文書館提供)

 
『藤沢市史 第6巻 通史編(1977年 藤沢市史編さん委員会) 』によると、1914(大正3)3月に当時の高座郡藤沢町辻堂在住の有力者を発起人として「辻堂停車場期成同盟会」が結成された。同年10月には大庭、羽鳥と、現在は茅ヶ崎市に属する小和田(こわだ)、菱沼、室田(むろた)、赤羽根の周辺部落総代を含む51人の連名で、当時の鉄道院総裁・仙石貢(せんごく・みつぐ)にあてて、「鉄道停車場設置請願」を提出したという。

 

 
多くの地域住民が運動に参加(藤沢市文書館提供)


その結果、1915(大正4)年5月3日、当時の藤沢町長・金子角之助(かねこ・かくのすけ)を通じて、発起人らに辻堂駅設置承認の内示が通達された。そこには鉄道院指定の2500坪程度の土地を住民が無償譲与すること、その他の物件移転などの費用を地域住民が負担することという条件がつけられていたというのだ。

 

 
新設された辻堂停車場(藤沢市文書館提供)

 
この条件を発起人らの地域代表は受諾。地元住民から総額3000円(現代換算で約800万円)にも及ぶ寄付金が集められ、1916(大正5)年2月に停車場敷地として2498坪の土地を提供。同年8月には駅舎が起工、3ヶ月あまりの短期間で完成し、同年12月1日に住民の用地提供によって誕生した唯一の国鉄(後のJR)駅として、辻堂駅が開業した。

 

 
1953(昭和28)年には西口を新設(藤沢市文書館提供)
 

 
跨線橋や地下道の整備により危険の多い踏切も順次廃止(藤沢市文書館提供)
 

 
人々の暮らしに欠かせない存在として(藤沢市文書館提供
 

 
辻堂駅は発展してきたのだ(藤沢市文書館提供

 

 

市境ギリギリの辻堂駅と語り継がれる偉業



永井さんによると、藤沢駅と茅ヶ崎駅のちょうど真ん中は、現在の辻堂駅の茅ヶ崎市寄りにあたるという。これは、駅設置運動の中心となる者が辻堂住民であり、用地確保の資金提供も辻堂からがほとんどだったことから、藤沢・茅ヶ崎の両駅の中間地点よりも辻堂集落側へずらした場所が駅設置場所として選ばれたようだ。

 

 
確かに辻堂駅西口付近には藤沢市と茅ヶ崎市の市境(赤実線)がある


こうして住民の手によって誕生した辻堂駅、開設当初の1日平均利用者数はわずか225人程度だったというが、100年の時を経て約250倍もの利用者を迎える駅に成長した。地域では、駅新設を成し遂げた偉業を後世に語り継ぐ活動も行われたという。

 

 
駅南口には経緯を記した開設記念碑もある


「駅開設から10年おきに、記念のお祭りを開催してきました。1926(大正15)年の10周年、1936(昭和11)年の20周年を祝した事実は記録に残っています。1946(昭和21)年の30周年は戦争のため祝賀行事は行われなかったようですが、1956(昭和31)年の40周年で祭りは復活、1966(昭和41)年の50周年は大規模に実施されました。1976(昭和51)年の60周年では、駅北口ロータリー完成に合わせて行われました」と、永井さん。

 

 
辻堂駅40周年祭りの様子(藤沢市文書館提供)


「駅の存在が当たり前のものとして定着するにつれ、人々の記憶から駅設立の偉業も薄れたのか、1986(昭和61)年の70周年ではイベント開催はなかったようです。しかし、1996(平成8)年の80周年にイベントは復活。90周年では私どもの法人で運営している『辻堂ファイト祭り』の一環として、盛大に祝賀行事を行いました」