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さいぞうさん
根岸の方に「疎開道路」と書かれた道路看板を見かけました。いったいどんな道路なんですか?(ゆきむらさんのキニナル)
空襲による火災の延焼などを防ぐために家屋を取り壊して造られた道路。
市内にも多く存在したが、現在も名前として残るのは磯子区だけとなっている。
ライター:ワカバヤシヒロアキ (2011年11月06日)
根岸に残る疎開道路
「疎開」と聞けば、第二次世界大戦中に起こった学童疎開。都市部の児童を守る目的で、縁故を頼るか、あるいは強制的に集団で地方に分散させられたことを思い浮かべる。
その「疎開」と名の付く道路が磯子区にあるというのだが、いったいどんな目的で付けられたのだろうか?またその場所にはどのような背景があったのだろうか?
調査のきっかけとして、まずは現地に赴いた。
磯子区西町に「根岸疎開道路」という看板がある
両端が剥げてしまい、文字が見づらいが看板には「根岸疎開道路」と書かれている。
しかしこの道路、他と異なるところが見つからない。
何の変哲もない住宅街にある生活道路なのだ。
見かけは至って普通の根岸疎開道路
あまりにも一般的な道路で、少々拍子抜けしつつも現地に来れば「疎開」という言葉は益々気になってくる。しかも、周辺を歩けば他にも疎開道路を発見した。
いくつもある疎開道路
根岸疎開道路からしばらく歩くと、様々な疎開道路に出会うことができた。
坂下町にある「坂下疎開道路」
下町にある「磯子橋通疎開道路」
中浜町にある「滝頭疎開道路」
周辺に疎開道路と名の付く看板は4つ発見できた。いずれもその土地の町名を使った道路名ばかり。
いよいよ何らかの意味があるだろうと思い、磯子区役所に問い合わせると『磯子の史話』という書籍を紹介された。
そこには「建物疎開と疎開道路」という項目があり、そこには以下のように記載されている。
―戦火の危険が身近になったころ、市街地の建物を間引して広い道路をつくる措置がとられました。これは、空襲火災の時の延焼防止・避難路の確保・消火活動を容易にすることなどに役立てるためです(後略)。
その後の文章では、疎開道路の位置等について記されているが情報はこれのみ。
どうやら、疎開道路とは空襲火災に備えて作られた道路だったようだ。
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