気分はインディ・ジョーンズ!? 横浜市立大に隠された「謎の洞窟」を探索!
ココがキニナル!
戦前から横浜市立大学の構内に洞窟網があり、探検部が中を探索しているが長すぎて未だに全容が解明されていないそう(横須賀の方までつながっているとか)。噂の真相は?この洞窟網はなんなのか?(うなぎさん)
はまれぽ調査結果!
裏山に広がる洞窟網は、第二次世界大戦中の軍事施設「航空技術廠支廠」の一部だった模様。横浜市立大の探検部が探索しているが、全容はいまだ不明
ライター:関 和幸
「探検」・・・それは多くの少年の胸をときめかせる魔法の言葉である。
その言葉で、映画『インディ・ジョーンズ』やテレビドキュメンタリー番組『川口浩探検隊』などに憧れ、子どもたちだけで裏山を歩き回ったり、遠くの街まで出かけたりした思い出がよみがえる読者もいるのではないだろうか? かくいう私も、そんな子どもの1人だった。
密林を進む勇敢な「探検家」に憧れなかっただろうか?
だが大人になった今、「探検」や「冒険」に憧れる気持ちは過去のもの。わざわざ野山に分け入り、疲れることはしたくない。むしろ快適な室内でビールでも飲んでいるほうが好ましい。
今回のキニナル調査も横浜市立大学の探検部に洞窟内部のお話を聞き、入口付近の写真だけ撮影して記事を書こうと思っていたのだが・・・。
探検の舞台
探検部の方とお会いする約束をして向かったのは、同学の金沢八景キャンパス。京浜急行の金沢八景駅から徒歩5分のところにある、緑豊かなキャンパスだ。
横浜市立大学の正門付近
待ち合わせ場所として指定されたのは、同大学の学生生活に必要な施設が集まる「シーガルセンター」。早めに到着したので中に入ってみると、売店や食堂、多目的ホールがあった。
待ち合わせ場所のシーガルセンター
約束の時間に現れたのは探検部部長大学3年生の岩田望(いわた・のぞみ)さんと2年生の小杉英之(こすぎ・ひでゆき)さん。
「戦時中、この敷地には火薬工場があり、洞窟は薬品の貯蔵庫だったと言われています。さっそく見てみましょうか」というお話から、「ちょっと準備がありますので・・・」と同部の部室へ。そこには強力なLEDライトと登山靴が用意されていた。
探検部の部室。1958(昭和33)年に創設された60年の伝統を誇る名門だ
そして始まる苦難の道のり
「洞窟は裏山の中で、部室から歩いて15分くらいのところにありますよ」ということで案内していただいたのは、同大学の第2グラウンドへ続く道。コンクリートなどで整備された道で徒歩15分なら安心だ、と思っていたのだが・・・。
当日の私の服装
動きやすいよう懐中電灯、デジカメ、メモ帳はポケットに。そのほか、軍手と丈夫な靴は事前に用意するよう言われていた。
2人の準備が整い、謎の洞窟に向かって出発!
これなら余裕、余裕
・・・え!?
おもむろに歩道に面した崖を登り始める2人。「滑りやすいので気をつけてください」と言われ踏み込んだ先は、人の手のまったく入っていない山林だった。
道なき道をどんどん進む2人
慣れていなければ、あっという間に方向を見失いそう
道中で伺った探検部の2人の話によれば、初めて来たときには真夏で猛烈に草木が繁茂しており、暑さもあって大変苦労したらしい。さらに服装も半袖半ズボンだったため、全身数十カ所を虫に刺されて一週間以上も腫れが引かなかったそうだ。
代々の探検部OBが付けた目印が頼り
戦時中の薬品工場跡? 文字などは刻まれていなかった
さらに断崖絶壁を通り・・・
ついに到着! これが「謎の洞窟」の入り口だ!
まったく整備されていない自然の山の中を、トゲの生えた草をかき分け、行く手を遮る木々を乗り越え、滑りやすい崖を登り降りすることは本当に大変だった。正直、「もう帰りたい・・・」と私の内心で泣きが入ったのは言うまでもない。