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気分はインディ・ジョーンズ!? 横浜市立大に隠された「謎の洞窟」を探索!

ココがキニナル!

戦前から横浜市立大学の構内に洞窟網があり、探検部が中を探索しているが長すぎて未だに全容が解明されていないそう(横須賀の方までつながっているとか)。噂の真相は?この洞窟網はなんなのか?(うなぎさん)

はまれぽ調査結果!

裏山に広がる洞窟網は、第二次世界大戦中の軍事施設「航空技術廠支廠」の一部だった模様。横浜市立大の探検部が探索しているが、全容はいまだ不明

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ライター:関 和幸

いざ、洞窟の中へ!

洞窟に到着した時に筆者はすでにフラフラだったのだが、探検部の2人はまったく疲れを見せない。「じゃ、入っていきましょう」と言って、彼らは入口に取り付けられたゴムホースを使ってスルスルと穴を斜めに下っていく。その斜めの穴は腰を屈めなければ入れず、底はまったく見えなかった。
 


こんな感じで下っていく
 

斜めの穴を降りている途中。天井が低く、何度も頭や背中をこすってしまう


数十メートルは穴を降りたところで、ようやく底についた。そこに広がっていたのは、これまでの腰を屈めなければ進めない通路とはまったく異なる驚くべき大空間だった。
 


天井の高さは3メートルほど。空中のホコリがフラッシュに反射している



洞窟の中を探索!



これほどの大空間は、どのようにして作られたのだろうか? 探検部の2人が教えてくれたのは、天井の細かい傷跡。どうやら岩盤をツルハシで削って作られた物だろう、ということだった。もし事実なら、途方も無い労力がかかったと思われる。

だが後で調べた結果、1914(大正3)年には国産の削岩機が生産されていた(古河機械金属株式会社ホームページより)ので、さまざまな掘削機器を使用して掘り進められたとも考えられる。
 


天井の細かい傷


また空間の内部には、さまざまな残留物や設備跡があった。そのうちのいくつかは戦時中の物であり、またいくつかは戦後に持ち込まれたものだと思われた。
 


電線用の碍子(がいし)。かつては電灯なども設置されていたのだろう
 

一見、炊事施設にも見えるが・・・実際の用途は不明だそうだ
 

清涼飲料水の空き瓶
 

薬剤の入っていた袋
 

不法投棄も行われていたらしい
 

割れた薬品の貯蔵瓶。触れないように気を付けて進む



全容はいまだ不明の大空間・・・



ここまでの通路は碁盤の目のようになっている。しかし、その中のいくつかの通路は土などで腰くらいの高さまで埋められており、屈まなければ進むことができなかった。

また探検部の2人の話によると、本来はこの洞窟にはいくつもの出入口があったらしいが、子どもが遊びに入って事故に遭うなどの危険を避けるために自治体が土砂で埋め立てたのではないか、とのこと。その中で残されたのが、先ほどの斜めの細い穴ということであった。
 


半ば埋められた通路を進む
 

感覚的には、軽く数百メートルは地下を歩き回った気がする
 

2人とも初めて見たという階段
 

この先がどこまで続くのかは分からないという



謎の洞窟の今後

結局、洞窟内での滞在時間は小一時間ほど。その後は部室に戻り、これまでの洞窟を巡るお話や今後のことについて伺った。
  


探検部の部室内部。世界各地の探検旅行で入手した装飾品が飾られている


まず洞窟についてだが、探検部として本格的に探査したなどの記録は無く、いわば部の伝統で先輩に「こういう場所があるんだよ」と、引き継がれてきたらしい。同大学の周辺には「六浦弾薬庫」などの類似施設があり、この洞窟もおそらくその一つではないか、ということだった。

また、読者からのキニナル投稿で触れられていた「横須賀まで続いているのでは?」という質問については、洞窟の奥まで行ったことがないので分からない、ということであった。今回の取材をきっかけに、洞窟内の地図を作ることも検討したいということである。
 


案内してくださった探検部の岩田さん(写真右)と小杉さん


後日、金沢区の土木事務所に問い合わせたところ、正確な記録は残っていないが、かつて横浜市立大学の学術情報センター(図書館)裏の急斜面をコンクリートで固めた際、この洞窟の調査が行われたらしい。

しかし、文化財として保存する価値はないと判断され、入口などはそのまま埋められてしまったという。そのほかに入口があることは分かっておらず、特に立ち入り禁止の措置などはしていないとのことだった(同大学の広報部によれば、その工事は今から30~40年前に行われたらしい)。


その後の調査



また複数の資料から、この洞窟は第二次世界大戦中にこの地にあった海軍の航空技術開発施設、「航空技術廠支廠(こうくうぎじゅつしょうししょう)」の一部だったと推測される。『六浦文化研究9号「小泉(こずみ)の今昔」』によれば、その規模はおよそ30万坪(約100ヘクタール・江ノ島2.6個分)。

現在の横浜市立大学、市立金沢高校、株式会社総合車両製作所(旧:東急車輛製造株式会社)などは、その跡地にできたものである。
 


謎の洞窟と周辺施設の位置関係(Googleマップより)
 

航空技術廠支廠の造成工事(六浦文化研究9号『小泉(こずみ)の今昔』より)


残念ながら洞窟そのものの存在に触れた記録は見つからず、『海軍航空技術廠材料部終戦50周年記念誌』『海軍航空技術廠電気部』といった戦後に作られた手記に、「空襲が激しくなったことから地下で作業を・・・」「白山道側に地下洞を掘って工場を移転・・・」といった記述が散見されるのみであった。

この金沢地区の「航空技術廠支廠」は横須賀の追浜・貝山地区にあった「航空技術廠」の規模拡大によって1941(昭和16)年に新たに設立された施設であり、航空機に関するさまざまな技術開発(各種計器類、武器・弾薬類などの開発)が行われていた。
 


航空技術廠支廠の配置図(六浦文化研究9号『小泉(こずみ)の今昔』より)



取材を終えて



大学キャンパスの敷地内という日常空間に、これほど非日常的な場所があるとは思いもよらなかった。また、その後の調査でこれが第二次世界大戦中の施設であることが分かったが、その記録・記憶は当時生きていた方たちが亡くなるとともに急速に風化していくのだ・・・ということも実感した。

今回の取材は体力的に大変きつかったが、読者の要望があれば、またそれらを探索してみたいと思う。
 


暗黒空間からの帰路、テニスコートが眼下に見えた。すごいギャップである


―終わり―

取材協力

横浜市立大学 探検部
岩田望氏、小杉英之氏

横浜市立大学 広報室
神田桃子氏

横浜市立大学 公式ホームページ
http://www.yokohama-cu.ac.jp/

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  • 私も金沢高校の70年代卒業生です、市大~金高の裏山の洞窟は我々男子の遊び場でした、天井に巨大ゲジゲジが群れてたりして気持ち悪かったです。授業に戻るため穴から出ると、黒い学ランが泥だらけになっててバレバレでした。いや~楽しかったなぁ。

  • 金沢高校の卒業生ですが、高校と大学のグラウンドに沿って入口がいくつもありました。薬品の瓶とか碍子とか懐かしかったです。確か88年ごろの3年生が中で火事を起こして即座に入口がコンクリートで封鎖されました。当時探検しつくした結果、金沢八景駅の裏山(当時藁葺の民家があったあたり)の地上につながっていました。横須賀まではつながっていません。ただ2階層あって、複雑なつくりだったと記憶しています。洞窟の上部出口(今回のレポートの入口)から東急車両の方に抜けると、雑木林の中に大きな貯水池(15m四方くらいのプールのような形)があり、これはまた異様な雰囲気でした。

  • 記事内容に変更があった場合は、その旨多少は記載されておいた方が良いと思います。

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