検索ボタン

検索

横浜のキニナル情報が見つかる! はまれぽ.com

消防救急も横浜発祥? 日本大通りの「消防救急発祥之地」の記念碑の由来とは?

消防救急も横浜発祥? 日本大通りの「消防救急発祥之地」の記念碑の由来とは?

ココがキニナル!

日本大通り駅の近くに「消防救急発祥之地」の記念碑があり、山下町消防出張所のシャッターにも写真が。消防も横浜が発祥?/日本で最初に救急車が配置されたのは横浜?(Dixhuitさん/山下公園のカモメさん)

はまれぽ調査結果!

横浜最古の消防隊「居留地消防組」があった場所であり、日本で初めて消防車や救急車が配備された場所の一つ。当時の写真が山下町消防出張所にペイントされている

  • LINE
  • はてな

ライター:はまれぽ編集部

「居留地消防隊」があった場所?
 
みなとみらい線日本大通り駅を出て徒歩1分ほど、横浜情報文化センタービルの駐車場の脇に「消防救急発祥之地」があるというキニナル投稿が来ていた。
 


駐車場の手前、柵で囲まれたあたりにある

 
現地を訪れるとそこにあるのは記念碑やプレートと、何やら古めかしいレンガ造りの構造物だ。
 


投稿があった記念碑。横浜市長による碑文がある

 


半分地中に埋まっているような形の構造物

 
近くにある大きな解説板には、レンガの構造物は「旧居留地消防隊地下貯水槽遺構」で、1871(明治4)年から1899(明治32)年まで居留地消防隊がこの地にあった、と書かれている。
 


遺構の歴史を解説している

 
また、解説版には「日本初の消防車や救急車が配備された、近代消防ゆかりの場所」ともあった。

一方、投稿にあるもうひとつの写真の場所、中消防署山下町消防出張所(以下、山下町出張所)に足を運んでみると、確かにシャッターに古めかしい写真が大写しになっている。
 


山下町出張所

 
左右二枚のシャッターに違う写真がペイントされており、向かって左側は「大正2年ごろの薩摩町消防組にあった日本初のガソリンエンジン消防車メリーウェザー号」、右側は「明治14年ごろの居留地消防隊」、と解説されている。
 


左側には古い自動車が

 


右側が「居留地消防隊」の写真だという

 
居留地消防隊とはなんだろうか。前述の解説板に書かれていた内容を元に、横浜の消防の歴史と、碑が置かれた理由を調査した。
 
 
 
居留地の消防組織がはじまり
 
1859(安政6)年に開港した横浜では、翌1860(万延元)年に外国人居留地が設けられ、貿易を行う外国人が居住した。

彼ら貿易商人たちにとって、商品を火災で失ってしまうことは特に恐ろしかった。そこで居留地の防災のために、欧米から最新の機械を輸入し、小規模な消防組織を自主的に作り始める。
 


明治期に居留地にあった西洋館の絵(画像は過去記事より)

 
この消防組織には、居留地で働く日本人も一員に加わるようになったという。その中でリーダー格となったのがイギリス公使館のボーイだった石橋六之助(いしばし・ろくのすけ)とオランダ貿易商社の使用人増田万吉(ますだ・まんきち)だ。
 


居留地で働く日本人も消防に協力していた(フリー素材より)

 
小規模な消防組織が並立していた居留地の消防組織は、1868(明治元)年に居留地消防組として一つにまとめられる。この「消防組(しょうぼうぐみ)」とは、今でいう消防団に近いもので、住民によって結成される消防組織だった。明治初期には現代のような公営の消防署がなく、主に消防組が防火に活躍していたという。
以下、居留地消防隊については、「居留地消防組」の表記で統一する。

1868年当時、国内のほかの都市の消防組織はまだ江戸時代の火消の名残をとどめていた。例えば、東京で江戸時代からの町火消が消防組に改組されるのが1872(明治5)年のことだから、居留地消防組がかなり先進的な組織だったことがうかがえる。
 


消火ポンプやヘルメットといった洋式の装備もいち早く導入した(フリー素材より)

 
その居留地消防組が明治時代に屯所(とんしょ、本拠地)にしていた場所が居留地238番、件の碑があった場所というわけだ。山下町出張所のシャッターの写真は、1881(明治14)年ごろの消防組の建物と組員を写したもので、居留地らしく外国人と日本人が一緒に写っており、当時まだ珍しかった蒸気で動く消火ポンプも写っている。
 


外国人に混じって、日本人の顔もみられる

 


人の間に写っている機械が、蒸気エンジンで放水する消火ポンプ

 
当初、頭取(消防組の総まとめ役)には増田万吉が任命されたが、彼が1873(明治6)年に頭取を辞してからは石橋六之助が組頭(現場に出動するリーダー)となって活躍した。前述の写真の一番右端に、ヘルメットをかぶった石橋の姿が写っている。
 


右手前で半纏(はんてん)を着てヘルメットをかぶっているのが石橋六之助

 
石橋は横浜市内の塵芥(じんかい、ゴミ)回収業も手がけていたため、この消防組は「ゴミ六消防隊」の通称で親しまれたという。

当時居留地消防組が使用していた施設で唯一現存するのが、碑の場所にあるレンガ造りの遺構。これは防火用の水槽で、1893(明治26)年ごろの建設と推定されている。
 


居留地消防組の数少ない遺構

 


今でも水を貯めることができ、こののぞき窓からその様子が見られる

 


2003(平成15)年には横浜市認定歴史的建造物に指定された

 
1899(明治32)年に外国人居留地はなくなり、居留地消防組も薩摩町消防組に改組されたが、引き続きここで街の防火に努めた。

1919(大正8)年、大都市に官設の消防署を常設する「特設消防署規程」が制定され、薩摩町消防組がある場所に横浜初の消防署である第二消防署が置かれた。これにともなって薩摩町消防組は解散したが、以後第二消防署、山下町消防署、中消防署、中消防署日本大通出張所と名前を変えながらも、1994(平成6)年までこの地に消防拠点が置かれた。
 


居留地消防組以来約130年間、ここが地域の消防拠点だった