鎌倉に京急バスや京急タクシーがあるのはなぜ?
ココがキニナル!
鎌倉市内には京急電鉄は通っていないのに、駅前のバスやタクシーに京急が多いのはなぜ? 昔から不思議に思っていました。(daikiさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
江ノ島、鎌倉をめぐり、交通事業でしのぎを削った結果、京急が生き残ったから。そこには、日本初の有料道路の存在が大きく関わっていた!
ライター:吉岡 まちこ
鎌倉の駅前は、京急カラーでいっぱい
鎌倉市内の駅は、JRが3駅(鎌倉駅、北鎌倉駅、大船駅)。
そして湘南モノレールと江ノ島電鉄の駅が、13駅ある。
通っている鉄道は、JR東海道線・横須賀線・根岸線・湘南新宿ライン、江ノ島電鉄、湘南モノレールだ。
つまり鎌倉市内、どこにも京急は通っていない。
それなのに、鉄道以外は京急の勢力がスゴイとの話。
どれくらいすごいのかさっそく鎌倉駅のバスを見にロータリーに行ってみた!
圧巻!京急のシンボルカラー水色のバスがずら~り
大船駅はどうだろう。
大船駅東口も京急、京急…。ミニバスも京急だ
鎌倉市内を走るバスは、京急バス、江ノ電バス、神奈中バスの3つだ。
ちなみに、隣の藤沢駅(JR東海道線・小田急江ノ島線・江ノ島電鉄線)、戸塚駅(JR東海道線、横浜市営地下鉄ブルーライン)も、路線バスに京急は走っていない。
駅待ちの京急タクシーの台数は、驚異的!
ネットで調べたところ、鎌倉市内に営業所があるタクシー会社は全部で7社。
鎌倉市小袋谷に京急交通(株)の営業所があるので電話で聞いたところ、7社のうち大船駅と鎌倉駅のタクシー乗り場の両方で待機しているのは、京急だけだそうだ(鎌倉駅は東口のみ)。
保有台数も、京急に次ぐ大手がどこも30台半ばのところ、京急にいたっては99台。ダントツだ。
大船駅のタクシー乗り場。ちょっと前まで京急タクシーがほとんどだった
なぜ鎌倉市にはこんなに京急グループが進出しているのだろう? 考えてみると不思議な気がする。
ここは単刀直入に、東京の港区にある京浜急行電鉄(株)の本社に取材を申し込んでみた。
が、総務部広報課からの回答は、社史や書籍資料を送るのでご参照くださいとのこと。
そこにあるのは解読するまで数日間かかった、大正~昭和にかけての観光地江ノ島へ向かう足の争奪と、避暑地鎌倉の土地をめぐる、実業家や政治家によるそれはもう熾烈な買収ヒストリーだった。
最終的に京急グループが“勝利”したから今があるわけだが、その証しともいえるのが「日本で初めての有料道路」を京急が運営していたことだった。
鎌倉に日本初の有料道路があった!? それは知らなかった!!
1967年の地図にも「京浜急行有料道路」の文字が見える
「交通界の革命」とも言われた日本初の有料道路
有料道路を作ろうと言い出したのは、実業家の集まり「江ノ島遊覧自動車土地(株)」。
大正末期の話だ。
当時、江ノ島鎌倉観光は年間150万人(ちなみに現在は1,900万人前後)。
鎌倉駅でわざわざ江ノ電に乗り換えなくても、大船から一直線で江ノ島に抜ける道を作って乗合自動車(バスのこと)を経営し、一般車からは料金を徴収したら“もうかるぞ~!”と夢見たのだ。
昭和初期は、関東大震災の復興で江ノ島も沸いていた
しかし、思ったようには資金繰りがうまく行かなかったようだ。
あとを引き継いだ実業家・菅原通済(すがわらつうさい)という人は、すごい知恵をふりしぼった。
有料道路の道沿いを高級別荘地にして、道路の利権と抱き合わせにして売ろうというのだ。
それが「鎌倉山」だ。昭和3年に「日本自動車道(株)」を設立して売って売って売りまくった。
鎌倉山の名も菅原氏が命名し、碑にその名がある。鎌倉山は山も海も絶景だ
その時の言葉が面白いので、ほぼそのまま引用してしまう――
「大船、江ノ島の中間の鎌倉山が富士、大島を一望の下に眺められる天下の絶景だから、ここを百万坪ほど住宅地に開放して、株主に持たせよう、そこで金持ち心理につけこんで専用道路会社の株を百株、すなわち5000円持った株主にはこの住宅地を500坪に限り2500円で優先分譲する計画を発表。欲張りが多いから申込みが殺到した」―『東急外史顔に歴史あり』より
殺到した大口申し込みは、三井、三菱、安田、大倉名財閥の重役陣、電力会社重役ら。
株主募集は大成功したという。
昭和5年に着工し、昭和6年にはおおよそ完成し、乗合自動車(バス)を運行させた。
当時アスファルト舗装そのものが珍しいのに、それが6.8kmも自動車専用だったなんて贅沢中の贅沢だ。
昭和8年に有料道路開業。開通時のPRにも使われた絵ハガキ
(写真提供/鎌倉市図書館近代史史料室)