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鎌倉に京急バスや京急タクシーがあるのはなぜ?

ココがキニナル!

鎌倉市内には京急電鉄は通っていないのに、駅前のバスやタクシーに京急が多いのはなぜ? 昔から不思議に思っていました。(daikiさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

江ノ島、鎌倉をめぐり、交通事業でしのぎを削った結果、京急が生き残ったから。そこには、日本初の有料道路の存在が大きく関わっていた!

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ライター:吉岡 まちこ

その革命的な道路は、ここだ……!?



完成した道路をオープンカーで走った菅原通済氏は、感動で目頭が熱くなったという。
めくるめく車窓に展開する眺望。理想的な道路と自画自賛した、その革命的な道路とは――
 


ここが富の象徴・日本初の有料道路、だった!?


――と、今はこんなにも普通の道路だ。
わかる人にはわかるかもしれない。湘南モノレールが上を通っている道だ。
地元ではなかなか使える道だ。空いていれば10分足らずで江ノ島についてしまう。
 


上の写真とほぼ同じ場所、深沢あたり。昭和45年の少し前頃
(写真提供/湘南モノレール株式会社)


こんな道にお金を徴収してたのか!なんて言わずにロマンをのせた兵どもが夢の跡と思おう。
それに、信号も少ないし、自然の中をアップダウンしながら駆け抜ける雰囲気が今もある。
 


一帯は古戦場だったから、ルートは“戦道ヶ峯”と呼ばれていた
 

森の中を抜けると、もうすぐ江ノ島だ!


新緑の季節にはリゾート地みたいで、ライター吉岡の友人の子どもは、このカーブにさしかかると「ママ!かっこいいよ!運転じょうず!」と興奮して絶叫するんだそうだ。

55年間ものあいだ有料道路だったが、あまりに周囲が市街化されどこからでも入れるようになったため、今から27年前、昭和60年に鎌倉市道に移管された。
27年前は最近といえば最近なので、料金所の記憶がはっきりある人も多い。
 


大船側の料金所の小屋。モノレールの線路工事が途中
(写真提供/湘南モノレール株式会社)


見るからにのんびりしているが、実際はもっとのんびりしていたらしく、有料道路の終わりの頃には、江ノ島側の料金所(目白山下あたり)では、時々思いついたようにパイプ椅子の徴収係のおじさんが現れ、30円とかを集金していたそうだ。
鎌倉に貢献してきたというわけではないけれど、当時マイカーブームを象徴する道ではあったのだ。


思わぬところにも、京急グループが



京急が三浦半島に進出したのは、昭和5年の昭和大恐慌の時。
黄金町~浦賀、金沢八景~今の新逗子に鉄道を開通させたのに、いきなりつまづいた「湘南電気鉄道」の経営を、「京浜電気鉄道」(京浜急行電鉄の前身)が助けたのがきっかけだ。

ついで、三浦半島でのバス事業買収も行ない「湘南半島自動車」を設立。
鎌倉駅付近にまで路線網を拡張した。
 


昭和初期は、鎌倉駅からこんな谷戸の奥、海蔵寺までバスが通っていた


さて、有料道路はというと、菅原氏の「日本自動車道」の株式を昭和13年「京浜電気鉄道」が取得。
そこを通る路線バスも引継ぎ、翌年、タクシー業にも投資を開始した。

昭和16年 「京浜電気鉄道」は、「湘南電気鉄道」と「湘南半島自動車」の三社で合併。
その後、戦中の東京急行電鉄との大合併を経て、京急が分離し「京浜急行電鉄」が創立された。

その後も、京急グループは鎌倉に積極的だ。
 


湘南モノレール。初代「スター・ウォーズ」のオープニングを思い出してしまう


旧有料道路の上を走る、大迫力の「湘南モノレール」はひそかに人気モノだが、三菱グループが設立し、昭和45年に開通したが、京急も第5位の株主なのだそうだ。
 


大船ルミネウイング


大船ルミネウイングは、JRと京急の共同出資と聞いてビックリ!
ルミネはJRだけの経営が普通なので、珍しい形態らしい。
地下のスーパー「ザ・ガーデン」の野菜・果物売り場“湘南新鮮畑”も京急ストアの経営だそうだ。


取材を終えて



ここには書き切れなかったが、有料道路になった土地はもともと「江ノ島電気鉄道(現・江ノ島電鉄の前身)」が鉄道敷設を予定していたのだ。また、後に京浜急行電鉄の傘下に入った「湘南電気鉄道」は鎌倉~逗子間に鉄道免許も持っていた。

江ノ島、鎌倉、三浦半島を舞台にさまざまな構想を描いた鉄道やバス会社。合併・吸収劇が繰り返され、結局京急が生き残った。鎌倉市内に京急の資本が多いのは、そのためだ。
大船~江ノ島間が京浜急行有料道路だった時代に、一度走ってみたかったというのが今回の感想。料金所を通らず迂回する方法もあるにはあったらしいが、遠回りになって大変だったそうだ。

なにはともあれ、鎌倉江ノ島が今も色々な楽しみ方ができるよう、あれこれ夢を描いてくれた実業家たちに感謝、感謝だ。



― 終わり ―
 

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  • 若い頃 バイクで良く料金所突破しました!確か 30円くらいかと思い出してます。昭和51年頃の思い出です。今は沖縄に在住ですが 4年前まで 常盤に住んでました。湘南モノレール&旧有料道路 良い思い出です。

  • 今となっては「京急の勝利」といえるかどうか微妙。元有料道路を走る京急バスは2015年6月に大減便し、上を走るモノレールも経営危機。東京方面からの省線利用の江ノ島参詣客をごっそり獲得というメリットは、1976年の国鉄運賃50%値上げ以降、徐々に薄れていった。割安な小田急の「江ノ島・鎌倉フリーパス」に悉く客が奪われたからであり、同社系の江ノ電が鎌倉観光にとって「キラー・コンテンツ」の地位を確立して以来、市内における小田急グループの影響力は、年々強まる一方。これに対し、元有料道路の利用客は、モノレール・バスともに、儲けになる定期外客の比率が激減。昨今は、鎌倉市のオムニバス・タウン政策においても、新設路線の殆どは江ノ電バス(比較的新しい京急の桔梗山線は政策導入前の路線)だし、既存路線も江ノ電バスの本数比率が上昇傾向にある。結局は、自ら線路を敷かず、省線のお零れに頼った京急の負けともいえる。

  • モノレール下もそうですが、昔は海沿いの134号線も鎌倉・逗子あたりが有料でしたね。

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