幻の白い塔!? 謎の住人がいたという川崎市蟹ヶ谷の建物とは?
ココがキニナル!
今はもうありませんが、蟹ヶ谷の山の上にあった白い塔と呼ばれた建物は誰のもので何の建物か知りたい。噂では外国人が住んでた、科学者が住んでた、バスタブだけ置いてあったなどよく聞きました(くまおさん)
はまれぽ調査結果!
建物の持ち主は欧米系の趣向を持った個性的な男性。居住環境などの理由により建物の完成間際で住むのをやめ1965年ごろ放置、現在空き地になっている
ライター:小方 サダオ
崖沿いに建っていた通称「白い塔」
川崎市高津区蟹ヶ谷(かにがや)の山の上に、「白い塔」と呼ばれる建物があったという。
投稿によると、建物や住人に関してさまざまなうわさがある、謎めいた存在だったようだ。
現存しないとのことだが、その建物について調べるために、現地を訪れた。
「白い塔」が建っていた場所(Googlemapより)
建物の形が表示されている(青矢印)(Googlemapより)
新横浜のあたりから綱島街道を北上し、川崎市に入ったあたりで左折、県道14号線を進む。するとしばらくして木々に覆われた山が見えてくる。この山の周辺一帯が蟹ヶ谷だ。
県道14号線
横浜市と川崎市のほぼ境に位置する蟹ヶ谷
川を渡り、山を上る途中、出会った通行人に白い塔について伺うと、頂上の武蔵小杉方面に面した崖沿いに白い塔が建っていたという。
しかし、そこにはフェンスが張られ、建物が建っていたという崖には近寄れなかった。
崖の周囲一帯にフェンスが張られている
建物も現存せず、建っていた場所に近寄ることもできない。
謎めいた建物のせいか存在を知っている人は少ないように思われたが、周辺住民に伺うと意外にも多くの答えが返ってきた。
周辺住民が語る白い塔の姿とは
散歩中の中年男性に伺うと「戦時中はこの頂上一帯は海軍の施設があり、海軍のマークが入った三角点が打ってありました。一般人は立ち入り禁止でした。また深さ2メートルほどの海軍の練習用プール、トーチカ(コンクリートで構築した陣地)や防空壕も3つほどありました。私が7歳の時、ここに来たときには、50メートルほどの4本の電波塔が建っていて、羽田空港を利用している飛行機の空港無線を受信する施設がありました」という。
海軍東京通信隊の施設があった1930(昭和5)年ごろの様子
白い塔に関して伺うと「ここは羽田空港を含め東京方面など四方が一望できる場所になります。私はその投稿の白い建物は通信隊があったころに建てられた敵機の見張り塔なのではないか、と思います。その建物の周囲には団地が建っていて、2005(平成17)年ごろに団地がなくなった後は2012(平成24)年に子母口(しぼぐち)小学校仮校舎が出来、今から半年ほど前に全域が空地になっています」とのこと。
木々の間あたりに白い建物が建っていた
武蔵小杉方面が見渡せる場所に建っていた「白い塔」
次に近くに住む初老の男性に伺うと「50年ほど前から、2階建ての建物がありました。またその後方に約10メートル四方の畑があったのですが、建物はその所有者の持ち物なのではないでしょうか。建物は、2階建てで中はがらんどうで階段はなかったです。近くの市営住宅が建つ前はあの場所へと通じる一本道があったと聞きました」
以前は建物があった崖(青矢印)へと向かう道(緑矢印)があった(昭和33年高津区明細地図)
「あの建物の中は子どもたちが勝手に入ってシンナー遊びなどをしていた場所で、私たちは怖くて近寄れませんでした。日本人が建てたもので、その後、その人は外国に行った、と聞きました。今はフェンスが張られ、一帯は市の所有地になっています」とのこと。
一帯は市が所有としているという
すると初老の男性の隣の住人が帰ってきたため、建物に関して伺うと「建物の中は何もなく吹き抜けになっていて、窓にはガラスもありませんでした。子どもたちの遊び場になっていて、中に中学生などが入ったりするので鍵をかけましたが、すぐに壊されていました」
「ある会社の社長の畑が建物の前にあり、軽トラックで訪れていたました。約10年前にはその人が鍵を閉めたりしていたので、その人の持ち物ではないでしょうか。ただ、もともとは50年ほど前に建てた人のもので、その人は建てた後アメリカに行った、と聞きました」と答えてくれた。
建物は元の所有者から違う人の手に渡ったという
さらに山のふもとの住人に伺うと「約50年前ですが、私の家から崖の上に建物が出来あがっていく様子が見えました。建設には1年はかからなかったのではないでしょうか? 住人は建設途中でアメリカに行ったと聞きました」という。
また、仕事中の中年男性に伺うと「30年前、私が子どものころの遊び場でした。神社の脇のけもの道から上がってゆくと『白い塔』と呼んでいた建物がありました」
山のふもとにある八太(やぶと)神社
神社の脇のけもの道を上がると建物があったという
「中には階段はありませんでしたが、2階の位置にロフトのようなものがありました」とのこと。
周辺住民に話を聞いたが、建物の様子に関しては知っている人はいた。しかし塔の住人に関してはあまり詳しい話は分からなかった。2番目の所有者と思われる「ある会社の社長」と連絡が取れれば、詳しいことが分かりそうだ。そこで登記簿を取ることにした。
するとそこには、床面積21平方メートルの、鉄筋コンクリート造りの2階建ての物置と種別されていた。また最初の所有者Aさんは1962(昭和37)年1月に土地を購入したとあり、2009(平成21)年に2番目の所有者Bさんに所有権を移転した、とある。
登記簿の記述の一部
そしてAさんの住所とともに、Bさんの住所も載っていた。
そこでBさんの元に向かうと、快く話を聞かせてくれた。