鎌倉の若宮大路に教会や寺がならぶ理由とは?
ココがキニナル!
鎌倉の若宮大路は鶴岡八幡宮の参道なのにお寺や教会があるのはなぜなのか気になります。(ウォッカさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
明治から大正にかけての別荘、静養の地としての文化とキリスト教が結びつき、鎌倉のメインストリートに面して建てられました。
ライター:ほしば あずみ
その背景にあったのは当時の文化?
2010年に赴任し鎌倉雪ノ下教会の代表を務めている川崎牧師
「神社の参道に建っていると意識した事はないですね」
と、こちらでも鶴岡八幡宮と同じような反応。
「教会の伝道が始まった大正初期という時代の鎌倉は、別荘や静養地としての性格がまだ残っていました。別荘を持ったのは旧華族などの上流階級の人々で、キリスト教の信徒も多かったと思います。そういった別荘地の文化として教会が建てられたのではないでしょうか」との事。
当時(明治~大正初期)の一ノ鳥居の様子
大正~昭和初期にかけての『段蔓』の様子
※2点とも『絵葉書で見る鎌倉百景』/鎌倉市図書館会館100周年記念事業実行委員会 編より引用
また、
「そのような背景から、神社と氏子、お寺と檀家のようなつながりが他の古い土地と違って比較的ゆるやかだという事もあり、教会としても活動しやすいんです。そういった面もあって根付いているともいえますね」
とも。鎌倉雪ノ下教会の信徒は現在約600人で、この数は同程度の規模の都市にある教会と比較すると多いのだという。
「鎌倉という寺社の多いまちにあるわけですから、景観を損ねない外観にしています。通りに面した窓に障子が入っているのもこの場所ならではといえるでしょうか」
ロビーも一見教会の中とは思えない
聖書のヨハネの言葉が表装され掛け軸になっている
礼拝堂のデザインは鎌倉ゆかりの北条氏『三ツ鱗』を連想させる三角の幾何学模様
後方の菱形はパイプオルガン
若宮大路は神社の参道なのに教会がある理由。それに対する明確な回答はなかったが、神社も教会も「特に意識していない」という認識こそが答えなのではないだろうか。
参道だという意識がないからこそ、鎌倉の中心となっている地として選ばれたようである。
まとめ
鶴岡八幡宮という鎌倉を代表する神社の参道である若宮大路に、カトリックやプロテスタントの教会がある。
宗教の違いだけを考えると奇妙に思えるかもしれないが、別荘地としての文化が都市を形成した過程がそこにあった。
それぞれの教会の歴史ある佇まいは、まちの景観に溶け込み違和感を感じさせない。
むしろ日本基督教団鎌倉教会堂のように景観重要建築物として指定され地域のランドマークのように親しまれている例もある。
大正15年に建てられた現・日本基督教団鎌倉教会の会堂 当時の様子
※『絵葉書で見る鎌倉百景』/鎌倉市図書館会館100周年記念事業実行委員会 編より引用
神社へ初詣し、教会で結婚式を挙げ、お寺で葬式をする事に違和感のない文化だからこそ受け入れられる信仰のありかたなのかもしれない。
runasuさん
2012年04月14日 20時13分
鎌倉カトリック雪ノ下教会のHPの「鎌倉キリシタンの殉教」にあるように、鎌倉は江戸時代から隠れキリシタンが多くいました。北鎌倉のお寺にもキリシタンの燭台や物品が残され、小袋谷にはキリシタン伝道所もありました。今も探すと実は推測も含め名残が色々あります…。HPでも横浜教区内でもキリシタンの住んでいた所は沢山あったが、殉教者が出たのは鎌倉と静岡だけと結んでいます。鎌倉とキリスト教の歴史は、別荘地の華やぎだけでない深い歴史があることに触れてほしかったです。
ウォッカさん
2012年04月14日 17時27分
>Doskevichさん一の鳥居の位置は時代ごとに変遷しており、平成2年に発掘された「浜の大鳥居」跡が現在の一の鳥居より八幡寄りにありますね。戦国時代ころのものとされ、一の鳥居の本来の位置に近いともいわれているようです
Doskevichさん
2012年04月14日 11時14分
現在の第一小学校付近の鳥居は実際には二の鳥居で、本来の一の鳥居は滑川沖にあったとされておりますが・・・