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馬車道の「六道の辻通り」は仏教と関係あるの?

ココがキニナル!

馬車道の勝烈庵裏に六道の辻通りという石碑があります。六道は仏教用語のようですが、何か関係ある通りなのでしょうか? 由来や石碑が置かれた経緯が気になります!(マイコデラックスさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

仏教とは関係なく、かつて六筋の道があったことから「六道の辻」と呼ばれていた説が有力。1999(平成11)年、周辺道路の整備にあわせて石碑が置かれた

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ライター:橘 アリー

石碑は馬車道商店街の提案で立てられた

馬車道商店街協同組合のご担当者さんによると、この石碑は、この周辺の道路を整備した時に同組合が石碑を立てることを横浜市に提案したのがきっかけで、立てられたそうである。

石碑を立てることを提案することになったそもそもの経緯は、図書館で「横浜近代史辞典」を見た当時の担当者が、馬車道のあの場所が昔は「六道の辻」と呼ばれていたというのを見つけたからだそうだ。
 


横浜近代史辞典(改題横浜社会辞彙)


「横浜近代史辞典」は、1986(昭和61)年に出版された復刻版で、初版は1932(昭和7)年。この本に書かれている、「六道の辻通り」の由来とはどのようなものだろうか。



昔は六筋の道があった?

「横浜近代史辞典」によると、住吉町五丁目と六丁目に東西に延びる一本の道があり、その道と交差して、南へは港町方向に、北へは北仲通に、東南へは尾上町五丁目を経て馬車道に、東北は相生町を経て馬車道に、西南は住吉町六丁目の新道を経て大江橋に達する六筋の道路があった。それが「六道の辻」と呼ばれていたそうだ。
 


斜め右下・斜め左下・斜め左上方向に道があったようだ


馬車道商店街協同組合から、六筋の道があった当時の地図のコピーも頂いた。
 


地図には、「1873(明治6)年の関内地区」と書かれてあった
<クリックで拡大>


どうやら、「六道の辻通り」と呼ばれている理由は、仏教とは関係無く、昔、その場所の道が六筋に分かれていたからのようである。

ほかの資料を探してみたところ、「中区史」にも、「現在の住吉町五丁目には六道の辻といわれた六差路があり、桜木町・常盤町・尾上町・住吉町などに六本の道が通じて交通の要所となっていた」と、道が六筋に分かれていたことが書かれていた。

また、横浜開港資料館には、1881(明治14)年の横浜の実測図が残されている。
 


横浜実測図(内務省地理局測量課発行)
<クリックで拡大>


実は、このような例は宮城県仙台市にもあった。仙台駅のすぐ南のあたり、北目町通りとJR東北本線とが交わる立体交差の周辺が「六道の辻」と呼ばれていて、かつては変則六差路があったそうだ。由来には諸説あり、単純に6本の道が交わっているからという説や、仙台城下町から寺社地への岐路にあるため「六道」をあてたという説などがあるという。



取材を終えて

ちなみに、「六道の辻」は瀬谷区にもある。「宮沢六道の辻」と呼ばれるのどかな道で、ここも六差路になっている。交差点には小さなお地蔵さまが置かれていて、案内板には「地蔵尊がその道(六道)を示され、当時の農民はこの地に自分達の終生末代の安楽を求め願いました」と書かれている。


瀬谷の宮沢4丁目付近にある「宮沢六道の辻」


馬車道の「六道の辻」は、仏教用語の「六道」ではなく六差路だったことが由来でありそうだが、いずれにせよ、これらの道は、当時に人々にとって、非常に便利で重要な生活道路だったのではないだろうか。


―終わり―
 

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  • 記事文末に出てくる宮沢六道の辻は交差する三筋のとおりのうち一筋が「ぐみょうじみち」と呼ばれる巡礼街道でした。どちらが先かはさておき、形状的な「六道」と霊的な「六道」は常に関わりあうように古来は考えられていたと思います。

  • 単純に六差路だったから・・・昔の人が全く仏教的な意識なしに「六道の辻」という言葉だけを借りてきたとも考えにくい。ましてや文明開化先進的な関内地区だけに。なにか六差路を「六道の辻」になぞらえるような、歴史の中に忘れられている理由もあったんだろう。

  • 調査ありがとうございました。四辻なのになぜ六道?しかも馬車道通り裏の地味な場所に誰が設置したの?との長年の疑問が解決出来てスッキリしました。川が物流の中心だった時代には馬車道通りに負けない位、賑わいある重要な交差路だったんでしょうね。郷土の歴史を感じました!

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