日本で唯一!真球のキログラム原器を製造する岡本光学加工所に潜入
ココがキニナル!
横浜にこんなすごい会社があった! 第3回は官公庁でオーダーされた真球のキログラム原器を日本で唯一製造している会社、有限会社岡本光学加工所をご紹介!
ライター:吉田 忍
真球原器
(つづき)
作成手順は、まず、円筒型のシリコンを正確な立方体に切り出す。立方体の角を三角錐型に切り落とし、正14面体にする。この14面体を2ヶ月くらい磨いて球体にしていく。
文章にすると簡単だが、機械だけではなく、最終的には職人の手作業で磨かれているという驚きの事実を伺う。
この日は小さな透明の球体が作られていた
少し磨いて確認、また磨いて確認の繰り返し。そこから機械では出すことのできない究極の精度を生みだす。
とても静かな作業だが、職人さんのまなざしは真剣そのもの
「小さなプリズムから大口径レンズまで、職人の相手とするものは、その大きさも様々ですが、でき上がったものを測定すると機械だけで磨いたものよりもはるかに高精度。人の手は機械を超えられます、というか、機械では職人の技能を超えられないのです」と岡本社長。
球面精度を計測する機器
測定されたデータ
上の写真では、0.143マイクロメートルの凹凸と表示されている。(1マイクロメートルは0.001ミリメートル)
世界最高レベルの精度を生み出すゴッドハンドを持つ3人
究極の精度は技術と技能が合わさって生まれるという。そんな岡本光学加工所の歴史を伺った。
岡本光学加工所の歴史
「元々は材木屋だったんだ」と岡本専務が話してくれる。
岡本専務は社長の叔父にあたる
第二次世界大戦が始まって、材木は統制下におかれ、個人では材木を扱えなくなった。
そんなとき、創業者の弟さんが光学メーカーで働いていて、海軍にいたお兄さんから、光学機器の会社をやらないかという助言があったという。
そんな事情で、1942(昭和17年岡本光学加工所の歴史は戦艦などに使用する六分儀の重要な中枢部品であるプリズムなどの光学部品を作る会社としてスタートする。六分儀とは、船舶が陸地の見えない外洋で天体を観測し、位置を特定する航海術に用いる道具。
同社の部品を使った六分儀は、軍艦など多くの船舶で使用されたが、こんなエピソードも教えていただいた。
1954(昭和29)年、当時アメリカの信託統治領だったビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験でマグロ漁船「第五福竜丸」が被爆したのだが、その時、確かにビキニ環礁の近海にいたことが、同社の部品を使用した六分儀による記録で証明されたという。
「第五福竜丸」の被曝は、反核運動が世界的に高まるきかっけとなるほど注目される事件だった。そして、その海域にいたことを高い精度で証明した岡本光学加工所の六分儀も海外にその名を馳せるようになる。
六分儀は日本では船の備品だが、アメリカでは航海士が個人で持っていなくてはいけないものだったため、航海で日本に立ち寄るアメリカ人の航海士がこぞって岡本光学加工所の六分儀を購入していった。
「六分儀の精度は、プリズムの平面精度が最も重要なんです」と岡本社長。