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かつて青葉区に存在したという「餓鬼塚(がきつか)」、ちょっと怖い感じがする名前の由来は?

ココがキニナル!

青葉区、都筑区に餓鬼塚と言った怖い地名があったそうです。由来などを調べてください。(南区のはまりんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

現在の恩田駅からやや東側に当たる地域にあった。時代は定かではないが、飢えて亡くなった方を葬っていた場所であったことが由来

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ライター:人見 静馬

急転直下



仕方なしに、収穫なしということで原稿をまとめ始めた筆者。キーボードを打つ手も漫(そぞ)ろである。しかし、せめてもう少し情報を盛りたいと餓鬼塚を調べている筆者の目に、とあるHPが飛び込んで来た。
「恩田メモ」
どうやら、恩田近辺の郷土を調べているHPらしい。ダメ元で読んでいると――。
あった! 餓鬼塚のことに触れている!
 


恩田メモ
 

早速、と連絡を取ると、割合早くご返信をくださった。管理人の木村氏(仮称)曰く、「はまれぽ」を以前から読んで知っており、できることがあるなら協力したい、とのこと。実に嬉しいお返事である。
それで、いただいた地図がこれである!
 


旧恩田村と現在を重ねた地図※クリックして拡大
 

確かに餓鬼塚の名が。西の方といえば西の方だが、いうほど西だろうか。江戸時代の文献に文句をつけても仕方がないのだが。
さて、木村氏(仮)の研究によると、この餓鬼塚という名称は1939(昭和14)年まで使われていたらしい。うーん、1939(昭和14)年か・・・戦争も挟んでいる上に、実に微妙な古さである。辿るには古過ぎる気もするし、諦めてしまうには古くないような気もする。憶えている方はおられるのだろうか。
考えていても仕方ないと、木村氏(仮)の推測を元に再び現地に赴く。
 


現地!



木村氏(仮)の推測によれば、それは中恩田橋交差点の辺りだという。以前は恩田駅で降りたので、今度は反対側の田園都市線・田奈駅からアプローチ。逆側から向かうことで、より地域の雰囲気を掴(つか)みたい。
 


のどか
 

ここも恩田同様、過去に恐ろしい地名が冠されていた場所だとは思えない。まぁ、時代が時代なので当たり前といえば当たり前なのだが。人が死んだ場所にいちいち禍々しい雰囲気が漂っていたら、今ごろ日本中禍々しい場所だらけだろう。
車通りの多い道を通り、中恩田橋交差点を目指す。
 


細い道
 

しかし車通りは多い
 

田奈駅から15分ほど歩くと、ようやく中恩田橋交差点が見えてきた。
 


中恩田橋
 

ここより右折した所が、木村氏(仮)が推測した餓鬼塚の場所である。
 


コンビニ敷地、餓鬼塚はこの辺りらしい(木村氏推測)
 

とはいえ、当たり前だがそれらしい何かは残っていない。木村氏(仮)が指摘していた曰くありげな石仏は安置されていたが、これは餓鬼塚に何か関係しているのだろうか。
 


佇んでいる
 

石仏
 

2尊並んでいる
 

歴史の証人


名残はないだろうか――歩き回り、道行く人に聞き込みをする。すると、この辺りに古くからあるという家の話を聞く。そこなら何かしっているかもしれないとのこと。

お話を頼りにその家を尋ねると、日本昔話に出て来るような年配の女性が対応してくださった。玄関まで歩かせたのが申し訳ないほどの年配者である。しかし受け答えは実にしっかりしていらっしゃった。僅かの期待を胸に餓鬼塚の名を尋ねると――。

「ああ、この辺りは昔そう呼ばれとったね」
知っていた! 聞き込むこと十数人、初の証言者である! 否が応でも興奮してしまう。
名残りはないか、どこが餓鬼塚だったか、の2点を聞く。すると、年配の女性が少女の時代によく通っていた坂道に塚があったとの情報を得る。だが、そこは木村氏(仮)が推測した場所とは少しズレていた。
 


こんな風に
 

とはいえ塚があったという情報である。少々場所がズレているくらいで見送るわけにはいかない。
写真を固辞するお婆さんに頭を下げ、いただいた情報の通り歩く。
 


大きな道沿いに鬱蒼(うっそう)と茂る緑が気分を盛り上げる
 

歩きながらふと左手を見ると――
 


先日歩き回った山
 

筆者が足を棒にして一日を棒に振ったあの山である。緑のトンネルや朽ちたお堂や謎の洞穴があった、あの山。こんな目と鼻の先に本丸があったとは。やはり下調べは大切なのだなぁ・・・。

暫く歩くと、先ほど話を聞いた女性がいっていた坂道の入口を発見する。この上に、塚が。
 


緩い角度の坂がダラダラと続く
 

坂を上がるにつれ、期待感が込み上げる。そして坂が終わると、そこには――
 


住宅街
 

拍子抜けの光景。右手には森らしきものがあるが、
 


塚がありそうといえばありそうだが
 

残念ながら電話会社の基地のようである
 

ここで完全に手詰まり。どこからか人骨が出土したという話でもない限り、木村氏(仮)の推測と年配の女性の記憶とどちらが餓鬼塚なのかの判別もできない。それ故、ここで調査を終えることとした。
残念ながらというか当然ながらというか、今回餓鬼塚の名残りを発見することはできなかった。真実は、これから先何某かの発見を待たなければならないだろう。
 


取材を終えて



今回調べているうちに、奇妙な地名というのは日本全国にあるものだということが分ってきた。気持ち悪く思えても適当に名付けたように思えても、やはりそれぞれ過去があって理由があるのだ。そんな当たり前のことに気付かされた調査だった。
しかし、若めの方はともかく、それなりに年齢のいった方も餓鬼塚の名をしらなかったのはなぜだろうか。由来をしらずとも、過去そういった名で呼ばれていたということくらいは、もう少し多くの方がしっていて良さそうな気もする。これは、開発による人々の流入・流出で過去が完全に失われてしまったということなのだろうか。
少し寂しい話である。だが、きっとそれで良いのだろう。
 


長津田駅前
 

綺麗に整備されている
 

餓鬼塚という地名や記憶をいつまでも残していたところで、喜ぶ人間がいるとは思えない。義理立てするような相手もいない話だろう。ならば、開発して聞こえの良い名前を与えて住み良い街にしてしまった方が余程良い。
と、筆者は思う。

今回は、木村氏(仮)のご協力がなければ成り立たない調査であった。本稿で紹介した情報は、氏からいただいた情報のほんの一部である。ご興味を持たれた方は、「恩田メモ」を訪問してみてはいかがだろうか。
 
 

―終わり―
 
恩田メモ http://www.ondamemo.net 
 

 

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コメントする
  • 長津田駅前、ノッポビルのある方はがらりと変わるも、反対側の駅前、横浜銀行がある方は昔の面影が随分残っている。だけどアピタ長津田に行く直前道路はアピタができる前と随分変わる。御前田交差点には、昔、家具の天神があったんですよね。

  • 確かに。そのあたり塚がありましたね。40年前、まだあまり開発されてない頃です。古墳か一里塚かよく分からないんですが。完全に削られて住宅街になってしまいましたね。

  • ご苦労様でした。こうした不吉な名前は再開発時に失われてしまいますね。昔だと同音異語で置き換えたりしたんですけどね。地名にはそれがついた理由があるので、興味はあります。

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