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立入禁止の扇島、かつて海水浴場としてにぎわっていたって本当?

ココがキニナル!

扇島は昭和30年ごろまで、海水浴場として有名だったそう。扇島は夏場は20万人の人出で賑わっており「ポンポン船」という船で、海水浴客を運んでいたそうです。当時の様子と扇島の歴史が知りたい(ねこぼくさん)

はまれぽ調査結果!

鶴見沖に浮かぶ扇島は京浜地区開発の偶然から人の手が生み出した海の楽園だった。昭和5年に開業した海水浴場は約30年に渡り、多くの人に愛された

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ライター:永田 ミナミ

扇島海水浴場写真集

 

というわけで「ミナール鶴見」内にある鶴見臨港鉄道株式会社へ


写真絵葉書を撮影した写真を中心に多くの当時の資料を見せていただいた。さらに扇島海水浴場の開設からの経緯と来場者数に関する資料もいただいた。


これはその資料を表にまとめたものである


浚渫した土砂を投棄していた場所に次第に形成された砂州を、海水浴に適していると思いついたのは誰だったのか。資料が少ないため分からないが、1930(昭和5)年、鶴見臨海鉄道が「扇島」の公有水面使用許可を取得し、扇島海水浴場を開設した。

いくつかの資料では「1931(昭和6)年開業」となっているが、この資料では1930(昭和5)年にも9万人の来場者が記録されている。7月4日に使用が許可されて準備を進め、8月から営業といったことがあったのかもしれない。

開業した翌年には来場者数が10万人を突破し、3年目以降は日中戦争がはじまった1937(昭和12)年にも20万人以上が海水浴を楽しんだことが分かる。参考までに2015(平成27)年の逗子海岸の来場者は23万7200人(神奈川県発表)。

1940(昭和15)年に東京日日新聞社に経営を委託するため記録はそこまでだが、毎年20万人前後の人が楽しんでいた様子は、写真を見るとよりよく分かるだろう。

ということで、ここからは「できれば全部」とお願いして驚かせてしまいながらお借りした、鶴見臨港鉄道所蔵の写真絵葉書をどうぞ。と言いたいところだが紙面に限りもあるのでここでは抜粋を紹介。全21枚はのちほどあらためて。

 

パンフレットの表紙もとても楽しそうである


こちらは当時の路線図。扇町海水浴場と渡船場の航路も載っている*クリックして拡大


「渡船場」。この渡し船を動力船いわゆるポンポン船が曳航した


潮干狩りを楽しむ家族らしき様子が写る「記念のスナップ」


「空から見た扇島」は砂州につくられたと聞いて想像していたよりもはるかに広かった


ならべると扇島大パノラマが完成する「海から見た扇島」


と、このように活気あふれる扇島海水浴場の様子を紹介してきたわけだが、この風景がいつまでも続けば今日の風景はないわけで、海水浴場の背後に迫る工業地帯が扇島にも忍び寄るのであった。



さようなら、扇島海水浴場



1940(昭和15)年に鶴見臨港鉄道の手を離れたあと、扇島海水浴場はいつ閉鎖されたのか。

投稿には「昭和30年ごろまで」とあるので、それを示す資料はないかと探してみたのだが、明確な閉鎖年が記された資料を見つけることはできなかった。京浜運河開削や埋立事業については多くの資料があるものの、扇島海水浴場に触れた資料は非常に少ないのである。

見つかった資料としては『東京湾の環境問題史』に掲載されている表「京浜臨海工業地帯(多摩川ー鶴見川)における埋立の推移」の「戦後県営埋立」の表に扇島の欄があり「1957(昭和32)年2月着手、1963(昭和38)年2月竣功(埋立面積142万7805平方メートル)」となっていた。

『日本鋼管七十年史』にはその間の1961(昭和36)年12月に「フリーピストンガスタービン機関発電所、扇島に完成」とある。

建設工事はその数年前から始まっていたはずだから、遅くとも1957(昭和32)年には海水浴場は閉鎖となっていたと考えられる。

1970(昭和45)年9月8日の衆議院会議録情報には以下のような話が出ていた。

 

海水浴どころではない大公害時代がやってきたのだった


昭和40年代に入ると、日本鋼管の京浜地区再編によって本格的な埋立計画が持ち上がる。1912(明治45/大正元)年設立の日本鋼管は大正〜昭和初期にできた埋立地10ヶ所に分かれて操業していたため、機能を集約させる埋立計画「扇島計画」が立てられた。

1969(昭和44)年に神奈川県、横浜市、川崎市三者に計画を説明し協力を依頼し、基本的合意、公害防止協定調印、漁業補償交渉妥結を経て、1971(昭和46)年11月に埋立免許を取得。扇島埋立と鋼管海底トンネルが着工した。

 

1974(昭和49)年、海底トンネルと扇島大橋が完成し、第1高炉の建設を開始


そして1976(昭和51)年7月、原料本船が入港し1号発電機が運転開始。同年11月に第1高炉入火式が行なわれるのであった。



探すのをやめたとき見つかることもよくある話か

正式な閉鎖年がどこかに載っていないか、いろいろ資料で探してみたが見つからず、横浜市史資料室に問い合わせてみたが、分からないという回答だった。

「昭和15年に東京日日新聞社に経営を委託」とあったのを思い出し毎日新聞に問い合わせてみつつ、その時間と労力から最後の手段としていた、神奈川新聞のマイクロフィルムを調べることにした。

ところが、昭和33年から27年までの7~8月の記事を遡りながら4時間かけて探してみたものの、海の話題では鎌倉、江の島、大磯など横浜市外の海水浴場しか出てこない。

 

閉鎖年どころか「扇島」の文字も見つけられなかった


もちろん見逃した可能性はあるだろう。しかし1952(昭和27)年の記事に「60万坪の貝類が全滅 川崎漁場の被害甚大 鶴見の被害68万坪(8月24日)」「まるでドブ泥川 横浜市内 河川の汚染調査(8月9日)」などとあるのを見ると、海水浴場の閉鎖は1955(昭和30)年より早かったような気もしてくる。

確認できた写真資料には「昭和27年撮影」となっているものもあるので、新聞で触れられていてもいいような気もするが、神奈川新聞主催の海水浴場ではないため取り上げられなかった可能性もあるかもしれない。

マイクロフィルムを探せばきっとわかると思っていたので、いよいよ暗礁に乗り上げたな、今回はここまでか、とここまで書いたところで、最後のひと足掻きをしてみた。するとある博士論文が見つかり、以下のような記述があった。



なるほど。特定とまではいかないまでも閉鎖年を絞り込むことはできそうだ


閉鎖時期の経緯を総合的に推察してみるとこのようになる


子どもたちが空き地で遊べない時代である現在の感覚で考えれば、1954(昭和29)年閉鎖としてしまっていいような気がする。しかし、戦後10年ほどの当時であれば、埋め立て開始直前まで扇島で海水浴客は遊んでいた可能性はあるだろう。

かつては羽田、新子安、山下、本牧など京浜間の沿岸にはいくつもの海水浴場があった。それと引き換えに工業地帯や港湾施設を手に入れ、いわゆる「発展」を手にしたわけだが、扇町海水浴場はその過渡期にふと現れた、近くてきれいな最後の海の楽園だったといえるかもしれない。

 
―終わり―
 
 
*「扇島海水浴場写真完全版」はこちらへどうぞ。

参考文献
『横浜経済と市民生活』横浜市経済局市民経済部総務課編/横浜市経済局市民経済部総務課/1977
『土木社会史年表』大木孝著/日刊工業新聞社/1988
『日本土木史総合年表』三浦基弘・岡本義喬編/東京堂出版/2004
『鶴見線物語』サトウマコト著/230クラブ/2005
『神奈川の鉄道1872〜1996』野田正穂・原田勝正・青木栄一・老川慶喜編/日本経済評論社/1996
『川崎の町名』日本地名研究所編/川崎市/1991
『川崎地名辞典(上)』日本地名研究所編/川崎市/2004
『鶴見興隆誌』藤田鎌吉著/自由新聞社/1930
『横浜港史 各論編』社団法人横浜港振興協会・横浜港史刊行委員会編/横浜市港湾局企画課/1989
『横浜港史 総論編』社団法人横浜港振興協会・横浜港史刊行委員会編/横浜市港湾局企画課/1989
『区政施行五十周年記念 鶴見区史』鶴見区史編集員会編/鶴見区史編集委員会/1982
『鶴見懐かしの写真集』鶴見区制70周年記念誌編集委員会編/鶴見区制70周年記念誌編集委員会/1997
『昭和の横浜』高村直助監修・横浜市史資料室編/横浜市史資料室/2009
『東京湾埋立物語』東亜建設工業株式会社編/東亜建設工業株式会社/1989
『日本鋼管株式会社七十年史』日本鋼管株式会社七十年史編纂委員会編/1982
『調査季報135号「特集・京浜臨海部再編整備・I世界に開かれた海上産業都市づくり3 京浜臨海部と浅野総一郎─先人たちの遺産」』東秀紀著/横浜市/1998
『ツーリスト案内叢書 第二十四 東京地方』ジャパン・ツーリスト・ビューロー/1940
『テクノスケープに関する研究』岡田昌彰著/博士論文/1996
『ランドマークが語る神奈川の100年』読売新聞社横浜支局編/有隣堂/2001

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  • 現在、70歳位の川崎育ちの先輩から「浜川崎(扇島)に海水浴場があってその向こうに工場の煙突からの煙を記憶してる」と聞いたことあります。70歳前半の川崎育ちの人なら、正確な情報を知ってるかもしれません。

  • フフッフー(夢の中へ)…いやこれ、相当な労作ではないですか。ご苦労さまです!現代から見ると、こんな所で泳ぐのか…という感覚ですが、大公害時代の前ならそうでもなかったという事でしょうか。東京湾内・神奈川県側で現存する海水浴場というと、やはり走水か鴨居あたりになってしまうのか…(浦賀水道まで来ると、さすがに水質もかなりマシに)。…もっと手前、八景島あたりがあったかな。

  • 川崎は遠浅の海で昔は多摩川を挟んで大森と並ぶ海苔の産地で川崎でも養殖が行われてたそうです。昔の東京湾は干潟も多くきれいな海だったのでしょうね。

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