【鎌倉の名建築】浄土宗大本山 光明寺
ココがキニナル!
神奈川名建築シリーズで神奈川県下最大級の木造建築光明寺本堂を取材してください。キニナル。(にゃんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
1698(元禄11)年に再建立された光明寺の本堂、山門。そして、室町時代に作られたとされる良忠上人のお像を安置する開山堂を訪ねた。
ライター:カメイアコ
開山堂、そして山門へ
本堂と繋がる廊下を通り、開山堂へ
本堂と同様、浄土の庭も極楽の世界を表現している
7月はちょうど、蓮の花が見ごろを迎える
開山堂正面
開山堂内に歴代の和尚が祀られている
良忠上人
開山堂は1923(大正12)年の関東大震災により倒壊。翌1924(大正13)年に古材を集めて簡易的な建て直しが行われたが、2002(平成14)年に現在の姿に再建された。
良忠上人、歴代の和尚のお像は、室町時代に作られたものだと言われている
普段、開山堂の中には入ることはできないが、セミナーや食事、宿泊などのイベントに使用されることがあるという。
当時の色彩を残すお像もある
文化財保護の観点から修復時に色彩は剥がされてしまったが、本来は写真右下のお像のようにお召し物の色は鮮やかだったそうだ。
開山堂を後にして、鎌倉の寺院の門では最大にして、県の重要文化財に指定されている山門へ向かう。
1847(弘化3)年に再建築された山門
柱は石の台座に乗っているだけで、固定はされていない
関東大震災や東日本大震災が起こった際も、大きく揺れはしたものの倒壊することなく現在まで姿を保ち続けている。現代にも通用する、江戸時代の建築技術の高さと職人の丁寧な仕事ぶりに感服した。
屋根を支える部分の垂木(たるき)をよく見ていただきたい
下は和様
上は唐様
違い、分かりますか? 下は直線に並んでいるが、上は中心から斜めに、末広がりになっている。唐様は中国の文化のため、華やかで大きく見せるデザインなのだ。
下側の和様は組み木が3つあるが
上側の唐様は4つになり、像の鼻のような装飾も見られる
様式によって、見る者に全く違うイメージを与えるのが建築の面白さでもある。豪華で尊大に見える唐様と、禁欲的で荘厳なイメージを与える和様。比べてみると、国ごとの文化や思想、当時流行したデザインなどが分かる。
本日は特別に山門の2階部分にご案内いただいた。年に2回、桜開花の時期に合わせて一般公開しているので、キニナル方はぜひ足を運んでみてほしい。
急な階段を上り2階へ
釈迦三尊像
山門に祀られている釈尊(しゃくそん)は本堂に安置している阿弥陀如来へ通ずる道に、邪悪なものが入ってこないように見張る役割を担っているという。また、参拝者を天から眺めるように座り、阿弥陀如来のいる極楽浄土への導きも果たしている。「参拝者をお出迎えしてくださったんだ」という印象を受けた。
十六羅漢像(じゅうろくらかんぞう)
釈尊の弟子たちである十六羅漢。それぞれに名前とどのような役割や意味を持つのかがパネルで説明されている。
詳しい説明書きがある
参拝者を阿弥陀如来様のもとへ
鎌倉最大の山門は、江戸時代後期の重厚な作りと唐様の折衷様式で建てられた。また、寺院は山に開かれることが多いので、山の名前が付けられることが主流だった。そのため、光明寺の裏にある天照山(てんしょうざん)から名がつけられ、天照山蓮華院光明寺という。
後花園(ごはなぞの)天皇の直筆の額も保管されている
取材を終えて
光明寺は、“猫寺”とも呼ばれ愛されている
浄土宗のお寺は、命あるものならどんなものにでも開かれているとの言葉通り、早朝から寺院内にある幼稚園に園児が元気よく登園し、後から続々と参拝客が訪れた。人間だけでなく、猫だって気ままに門をくぐるのだ。光明寺に通うなんて、なかなか信心深い猫さんだ、なんて思いながら本堂を振り返り、773年の歴史にこうべを垂れた。
―終わり―
マッサンさん
2016年08月16日 13時58分
天照山蓮華院光明寺、とても趣のあるお寺ですね。寺社をあるきっかけで知るわけですけれども、まだまだ鎌倉の寺社を知り尽くしてないなと我ながら思います。鎌倉には世界遺産登録に再挑戦していただきたいものですね。