外国人墓地で聞かれる戦後の混血嬰児遺体の話とは?
ココがキニナル!
終戦後、山手の外国人墓地には連日のように混血嬰児の遺体が遺棄されたという。その数は数百になり埋葬場所に困ったほどと聞きます。当時の様子を調査して頂きたいです。(orcaさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「根岸外国人墓地」周辺は、草木が生い茂り密かに遺体を遺棄できそうな場所だったようだが噂が本当かを証明するものは見つからなかった。
ライター:橘 アリー
嬰児たちのお墓は?
墓地は段になっていて、上の方の段に上がって行くと、生まれてまもなくなくなった子供たちのお墓がある。
「朽ちかけた白い十字架」も、この区域に残っている。
子供たちのお墓がある区域。墓碑が無い墓もあるようだ
生後間もなく、もしくは、1年以内に亡くなっている子供が多い
母親の名が日本人名の墓碑もあるが、それほど多くは無かった。
この墓地は第二次世界大戦後、接収されていたと言われていたが、記録類が焼失しているので正確な事は分かっていない。
「終戦当時、墓地の近くに米軍のジープが停まっていて、嬰児の遺体を埋葬していた!?」
という噂があるが、当時は至る所にジープが停まっていたそうだ。
墓地からの風景
墓地から見える、緑のフェンスで囲まれた場所(現在はスポーツクラブのYC&AC)は、当時は米軍の遺体の仮埋葬地として使われていたそうで、「嬰児の遺体遺棄説」は、それと混同されている可能性もありそうだ。
仮埋葬された軍人らの遺体は本国へ運ばれたりしたが、日本で生まれ程なく死んだ子供たちの遺体は、日本での出来事として、日本で埋葬されたのではないかと言う。
記者も、本牧のある地域に「嬰児の遺体が遺棄された」という噂を聞いたことがある。そこは米軍に接収されていた地域で、返還後に造成していたら嬰児の遺体が出てきたという内容だが、証拠となるものは残っていない。
横浜には、このような噂の場所がいくつかある。
根岸外国人墓地近辺は、「谷戸(やと)」と呼ばれる丘陵地が浸食され形成された谷状の地形で、うっそうと草木が生い茂っていたので、密かに遺棄するのにはもってこいの場所だったとも言えるが、横浜の山手地域は、同じような地形の場所がたくさんあり、それも噂が混同する要因の一つではないだろうか。
では、墓地を管理している場所に、何か根拠となるようなものが残っていないだろうか?
墓地を管理している、横浜市衛生局に話しを聞きに行った。
私も一緒に、「白い十字架」を立てた!?
横浜市健康福祉局健康安全部環境施設課
横浜市健康福祉局健康安全部環境施設課の田口さんに、話しを伺った。
現在、横浜市で確認している根岸外国人墓地のお墓は、1208区画だそうだ。
当時の遺体の埋葬に関する書類などは何も無い、と言う。
また、数百にも及ぶ混血嬰児の遺体が遺棄されているのではないかという噂は、何の根拠も無い憶測に過ぎないと、強く言っていた。
白い十字架について聞いてみると、驚きの回答が返ってきた。
それは、こういう内容だ。
昭和50年代に入ってから、横須賀基地の米軍の人達が、突然、「ボランティアで墓地の清掃・除草をしたい」と言ってやって来た。作業をしていると、土に埋もれて墓碑が見えない状態の墓が多くある事が分かり、その周辺に、木で十字架を作り白く塗って立てた。
その時、一緒に十字架を立てたそうだが、正確な数は覚えていないという。しかし、その数は千に近かったかも知れないとのことだ。
なぜそんなに大量の十字架を立てたのかは、米軍の意思によるものだったようで、数の意味などは聞かなかったそうだ。
それっきり米軍は来なかったので、十字架はそのまま放置され、少しずつ朽ちて行った。
土に埋もれて見えなくなっている墓碑もあるという
立てられている十字架の間隔が狭かったので、その十字架の群れを見た人たちが、「大人の遺体では無く子供の遺体が埋葬されているのではないか」と思ったのだろう、と言う。
もしかしたら、実際にその通りなのかも知れないが、書類も無く、掘り起こすわけにもいかないので、推測の域を脱することが出来ない。
まとめ
「それほど広くない場所に、突然、千近い十字架をびっしりと立てた」とは、とても奇妙な事に思える。この話を聞いた時は、一瞬、耳を疑い、何度か聞き返したほどだ。
しかし、「自分も立てた」と言われるのだから、信じざるをえない。
その十字架の群れを見たら、非常に痛ましい気持ちになることだろう。
嬰児の遺体遺棄が行われたのか、また、行われたとしたらその場所はどこなのか、何の確証もないが、もしもどこかに遺棄されているとしたら、せめてその眠りが安らかであって欲しい。
― 終わり ―
夏兒さん
2014年10月17日 16時14分
嬰児の遺体だった場合、暴行被害にあった女性による間引きや恨みを込めての遺棄などもあったのではなかろうか。遺体が基地周辺に集まる度にまとめて埋めたということか。遺体の顔を見ればハーフであると一目瞭然で、遺棄もできずに自分達の手で葬ったのだろうか。戦後、報道が規制されるまで連日のように婦女暴行が報じられていた。報道は規制されても事件自体は起こり続けていたことは想像に難くない。突然のボランティア、戦後の記録が何かで出てきていても立ってもいられずに行われたものか。そこを調べれば真偽も判明するか知れないが、そこまでは調査も困難だろう。
モコ姐さん
2012年07月26日 14時57分
毎年。11月に慰霊祭があってお掃除に行ってます。山崎さんの本も読んで泣きました。女性としてこんな悲しい歴史があったとは知りませんでした。思わず、手を合わせずにはいられません。
濱のリリーさん
2012年07月26日 12時25分
根岸外国人墓地については・・・毎日新聞社から出ている 山崎洋子著の「天使はブルースを歌う」~横浜アウトサイドストーリー~に詳しく書かれています。興味のある方は、ぜひ一読されることをお薦めいたします。