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世界を魅了した!? 本牧にあった享楽の場「チャブ屋」と伝説の娼婦「お六さん」の生涯をレポート!

ココがキニナル!

本牧特集にあった本牧チャブ屋の伝説の娼婦「お六さん」が気になります!チャブ屋の実態など横浜の闇の部分を調査願います。(sakuraさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

チャブ屋は本牧にあった売春宿だがダンスホール・バー・喫茶店などの側面も持っていた。お六さんは諸事情あり家族と別れ売れっ子のチャブ女になった

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ライター:松宮 史佳

「チャブ屋」ゆかりの著名人


作家・谷崎潤一郎は1921(大正10)年、小田原から横浜に移転。本牧十二天にあった「キヨハウス」の隣に住んでいた。もともと「映画が好きだった」という谷崎。当時、現・元町公園にあった「大正活映」という映画会社の脚本部顧問を務めていたのだ。谷崎の代表作の1つ、『痴人の愛』は本牧の「チャブ屋」に生きる女性をモデルにしている。また、『港の人々』では大正後期の「キヨホテル」について描いている。谷崎によると、西洋人の相手をする女は“野蛮で活発できびきびしており、体格も立派だった”らしい。

「チャブ屋」は遊郭や芸者に飽きた“遊び慣れた人”が行く場。本牧出身の映画俳優・江川宇礼雄(うれお:ドイツ人とのハーフ)氏や映画監督の清水浩氏なども通っていた。
 


小津安二郎原作・内田叶夢(とむ)監督作品『限りなき前進(1937<昭和12>年)』(『日本映画ベスト150(文藝春秋)』)
 

また、中区出身で主に戦前名子役として活躍した突貫小僧(とっかんこぞう:本名は青木富夫)。同氏は17歳だった1940(昭和15)年ごろに「よくキヨホテルへ遊びに行っていた」らしい。

青木氏の母はチャブ屋街にあったカフェで“やとわれマダム”として働いていた。そのため、幼いころより店に出入りしていたという青木氏。6歳の時、名匠・小津監督にスカウトされ、デビューした。
  


小津監督の名作『大人の絵本 生まれてはみたけれど(1932<昭和7>年)』(『日本映画ベスト150(文藝春秋)』)
 

写真は9歳のころの突貫小僧(青木氏)。いかにも“ガキ大将”という風貌がかわいい!
青木氏によると、当時の大卒サラリーマンの初任給は50~60円。その時代に「チャブ屋」で「一晩泊まると30円はかかった」とのこと。そのため、「裕福な人しか行けなかった」。最先端の流行が集まる所で映画監督や作家、芸能人、芸術家、実業家や商家の若旦那などが都内からも足を運んだそうだ。(『横浜チャブ屋物語』<重富昭夫>)

前出の江川氏は本牧の不良だったらしい。なので、「チャブ屋」では超顔なじみだったため、お客さんとして扱われなかった。そのため、高級だった“本牧”ではなく、“大丸谷”に好んで通っていたらしい。ちなみに本牧の「チャブ屋」では泊まると朝食に「トーストとハムエッグ、コーヒが出た」が、「大丸谷では出なかった」そうだ。
 


世界に名をとどろかせた「キヨホテル」



代表的な「チャブ屋」の1つだった「キヨホテル」。リキシャマン(人力車夫)だった倉田治三郎氏が「妻のキヨに開かせたのがきっかけ」。リキシャマンは今でいう呼び込みのような役割を果たしていた。倉田氏は体が大きく、「なかなかのイケメンで女性にもてていた」らしい。妻のキヨは外国へ出稼ぎに行き、成功。その財力でオープンしたのが妻の名前をとった「キヨホテル」なのだ。同ホテルは設備やサービス、女性も粒揃いで国際的にも有名だった。
 


メリケン波止場付近で客を待つリキシャマン(横浜絵ハガキ:『横浜チャブ屋物語』より)
 

昭和初期の本牧チャブ屋街(『横浜チャブ屋物語』)
 

「キヨホテル」のラベル(『グロテスク』昭和4年7月号)
 

ちなみに『グロテスク』はマニアック&コアな感じ
 

“1929(昭和4)年にこんな雑誌が!”と驚いた。

戦後、倉田氏は同ホテルがあった場所に「チャブ屋」を復活させるつもりだった。しかし、マッカーサーからストップがかかり「断念した」という。

「キヨホテル」にはお浜さんという売れっ子がいた。スタイルがよく、品があり、魅力的。その名は「7つの海をまたいで船員たちの噂にのぼっていた」とか。「キヨホテル」を辞めた後、曙町で「メロン」というカフェを開店。戦後は永真歓楽街(旧・黄金町遊郭跡)で「バーお浜」をオープン。その後は阪東橋などで屋台を営み、細々と暮らしていた。だが、1969(昭和44)年、住んでいた真金町のアパートで何者かに絞殺され、73歳で非業の死を遂げた。
 


お六さんとは!?



最後に投稿にあった「お六さん」を取り上げる。前出のお浜さんに比べ、お六さんの資料は極めて少ない。しかし、調べているうち、横浜出身の写真家・常盤とよ子さんの写真集『わたしの中のヨコハマ伝説』に出会い、生前のお六さんの姿を発見した。常盤さんは横浜の赤線地帯の娼婦の視点で撮影したという、「女性写真家の草分け的な存在」なのだ。

お六さんは仙台出身。女学校を卒業し、結婚。男の子をもうけ、しあわせに暮らしていた。だが、当時不治の病と恐れられていた結核を患い、「子どもにうつる」という理由で強引に離婚させられてしまったらしい。その後、上海で男性に騙され、本牧の「チャブ屋」に流れ着く。そこで六番目の部屋を与えられたことから“お六さん”と呼ばれるように。
 


お六さんは一種独特なムードを漂わせている(1956<昭和31>年)
 

当時、お六さんは背が高く、モダンな容姿が気に入られていた。また、大正時代ではめずらしかった女学校卒で「話し方に品があった」ようだ。

横浜大空襲ではチャブ屋街も焼かれてしまった。しかし、お六さんは近くに「自分で小屋を建てた」というから、バイタリティあふれる人だったのではないか。全盛期だった1946(昭和21)年ごろには「お六さんの小屋を米兵が何重にも取り巻いていた」ほどの人気だった。
 


小屋の前にて(1956<昭和31>年)
  

常盤さんは「お六さんが住む小屋の中を撮りたい」と思い、何度も通っていたようだ。しかし、お六さんは「男性以外、かたくなに中へ入れなかった」という。だが、お六さんの好物であるマシュマロや肉を携え、足繁く通うと「根負けし、部屋に通してくれた」らしい。
 


お六さんの部屋の中を撮影した貴重な1枚(1956<昭和31>年)
 

お六さんが住んでいた小屋から長沢さん宅はすぐ近く。中学生か高校生の時にお六さんの小屋があった空き地で相撲を取っていたところ、「実際に(お六さんを)見た」とか! ちなみにお六さんは「派手な和服を着て妖気が漂っていた」とのこと。長沢さんの知人は「町内の盆踊りで踊るお六さんを見た」そうだ。
 


踊るお六さん(1955<昭和30>年)
 

お六さんの最後は精神病院で亡くなったと言われている。
  


お六さんが住んでいた小屋は「
メリ~ゴーランド研究所」の裏にあったが、今はもうない
  



取材を終えて



今回は長沢さんと大谷さんに多大なるご協力をいただいた。「チャブ屋」は“私娼がいるところ”というだけではなく、ダンスホールやバー、喫茶店など多様な側面があると知った。また、多くの著名人が通っており、驚いた。遊郭とは違い、明るく陽気な雰囲気だったのも意外だった。本牧の街の成り立ちや歴史を垣間見ることができ、とても興味深かった!
  


―終わり―
 

参考文献
『タウン誌浜っ子(1988.February)』
『横浜チャブ屋物語(重富昭夫)』
『タウン誌浜っ子(1981.October)』
『本牧・北方・根岸(長沢博幸)』
『赤線跡を歩く』(木村恥)
『グロテスク(昭和4年7月号)』
『横浜ガイド創刊号(横浜開港資料館)』
『横浜中区史』
『日本映画ベスト150(文藝春秋)』
『わたしの中のヨコハマ伝説(常盤とよ子)』

 

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  • 小学生の頃よくお六さんを見かけました。盆踊りの時には必ず踊ってましたが、大人たちは「気のふれた人だ」というのでそういう感じで皆見てましたね。ただ子供ながらにスタイルの良い洒落たおばあさんだなと思ってました。長沢さんという方は、お六さんの小屋の近所に住んでらしたそうですが、ひょっとして小学校が大鳥とすると、私が3つ位下ですから、同じ時期に通学してたことがあるかも知れませんね。下にあるコメ主の「カネちゃんさん」もひょっとして「金〇君」じゃないかって思うんですけど、どうでしょうか。(笑)

  • お六さん お話したことありますし興味半分友達と家にもいった気がします当時でもひどいボロ家に住んでいましたがきさくな優しいおばさんで人気者だったと思います自分の家がお六さんの家を見下ろせる高台にあり隣の広場で盆踊りが開催されると家の窓から直接出てきて楽しそうに踊っていました子供の頃の懐かしい思い出です

  • お六さん、見たことあります。確かに当時のおばあちゃんたちと比べれば派手だったけど、妖気が漂っていたというのは言い過ぎです。パン屋の前のベンチで近所のおばあちゃんとしゃべっているところを何回か見ました。噂によると、米軍の爆撃機に向かって「マッカーサー」って叫んでいたとか。

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