かつて山下町のシンボルだった、昭和の香りがする「シルクセンター」の謎の構造とは?
ココがキニナル!
シルクセンターがキニナル。エレベーターに5階なかったり6階に庭園があったり構造が面白い/地下のアメリカなお店とパブレストラン絹など昭和風な老舗店もキニナル(タンクさん、ro-me-3さん、なお♂さん)
はまれぽ調査結果!
シルクセンターは横浜開港100年を記念し1959年に建てられた。ユニークな構造は、今はなきシルクホテルの改装の名残。
ライター:山崎 島
勢いがついたところでいろいろお話を聞く・・・
と、お店を見て回って楽しくなってきたところで向かったのは・・・
3階のシルクセンター事務局
「シルクセンター」ってどういうところなのか、お話を伺わなくては。こちらは一般財団法人シルクセンター国際貿易観光会館業務担当次長の柳泉栄一(やないずみ・えいいち)さん。
か、肩書が長い・・・
柳泉さんにはいろいろお話をお聞きしたいので、さっそく本題に入ります。
シルクセンタービルがオープンしたのは1959(昭和34)年。当時、蚕糸(さんし)産業は日本経済の要であった。蚕糸産業は海外から材料などを輸入せずに、日本国内で製品化までして輸出できたため、外貨を直接的に取得できたことも利点だったという。
そんななか「日本の明日を担う」蚕糸産業を国内外にPRし、貿易・国際観光の復興のために「シルクセンター」というランドマークをつくることが当時の県知事、内山岩太郎氏により発案される。ちょうど横浜開港100年も迫っていたため、横浜開港100年記念事業として建設されることになった。
「シルクセンター」建設前の山下町1番地の様子(資料提供:シルクセンター)
完成当時の写真(資料提供:シルクセンター)
建設地は、かつてイギリスの総合商社ジャーディン・マセソン商会(英一番館)があった、開港の歴史にゆかりのある場所を選定。この土地は当時横浜市の所有地だったが、1957(昭和32)年に財団法人シルクセンター国際貿易観光会館に無償譲渡され、現在に至る。
入り口前の看板にはその名残が見える
建物の建設、設計は「競技設計方式(コンペ)」が実施され、建築家の坂倉準三氏の案が選ばれた。
蚕糸貿易だけでなく、国際観光の復興という大義のために建設された「シルクセンター」にはシルクホテルという宿泊施設もあった。
かっちょいい(資料提供:シルクセンター)
シルクホテルにはホテル・ニューグランド社長の野村洋三氏が取締役社長に就任。「当時の」ビルの5階以上を使用した。
そのほかの施設はこんな感じ(資料提供:シルクセンター)
横浜生糸取引所があったり(資料提供:シルクセンター)
これはアーケード街(資料提供:シルクセンター)
1つの建物に絹にまつわるありとあらゆる施設が入っていたんだなあ。こんな建物見たことない。
1982(昭和57)年、シルクホテルは経済的な理由により消防施設を施工できなかったため、閉鎖となった。投稿にもあった6階の庭園はこのホテルの名残だそう。
眺めが良くて入り浸っちゃいそう(許可を得て特別に撮影)
続いて、投稿にあった「5階がない」という現象についても柳泉さんに伺った。
エレベーターに乗ると一目瞭然。ほかのエレベーターでは7階も表示がない
「おそらく、シルクホテル廃業直後に建物内の改装があり、階数表示を変更したからだと思います。詳しいことは資料が残っていないため、不明です」と柳泉さん。
続いて、今も開館当時から残る施設について話を伺った。
シルクセンター計画を発案した内山岩太郎神奈川県知事が、当初最も重点を置いたのは「絹の博物館(現シルク博物館)」の設立。蚕から絹製品になるまでの展示で、外国からの観光客に日本の絹をPRし、生糸輸出を高めようという目論見だった。博物館を主体とした計画は国際貿易観光会館計画へと発展し、「財団法人シルクセンター国際貿易観光会館」を設立するに至った。
当時の博物館の様子(資料提供:シルクセンター)
すっごい絹押しだった日本経済。当時の金額でおよそ10億5000万円もかけて「シルクセンター」を作ったのだが、実は昭和30年代には少しずつ蚕糸産業の元気がなくなっていた。
日本経済の主な産業は徐々に鉄鋼や造船に切り替わり始め、昭和40年代には蚕糸産業に代わって日本経済の主軸となった。入館していた蚕糸関係の会社や店舗も少しずつ減っていたとのことだ。
「今はこの建物に入館しているテナントからの家賃とシルク博物館の入館料で博物館を運営しています。博物館あっての“シルクセンター”なので、博物館の運営が第一です」と柳泉さん。かつて日本経済を支えた蚕糸産業を伝え続けるために、横浜スカーフなどをはじめとした製品をPRしながら、博物館を維持している。
シルクセンターの心臓「シルク博物館」を見学
シルクセンター2階にある
館長の坂本さんにご案内いただいた
こちらはまゆるん
博物館の1階では、蚕や繭の性質や歴史について触れられる
ジャーディン・マセソン商会の貴重な写真が
展示はもちろん
体験もいろいろできる
2階は博物館というより美術館
日本と絹の切り離せない関係や、美しさを学ぶことができる
蚕から絹製品になるまでのことが、ここに来れば丸分かりな博物館だった。
ミュージアムショップではリーズナブルに絹製品を購入できるし
こんなかわいい「かいこの王国(850円)」チョコレートも買えますよ
チョコはすっごい美味しかった。
取材を終えて
シルクセンターとパスポートセンターのある産業貿易センターは地下でつながっているから同じ建物と思っていたけど、実は別々なんだって、この取材で初めて知りました。ちなみに地下のあの謎のスペースは、以前入っていた店舗の名残だそうで、たまに催事場として使っているようです。
―終わり―
シルクセンター
住所/横浜市中区山下町1
パブレストラン 絹(地下1階)
電話/045-662-8162
営業時間/11:00~23:00
定休日/日曜・祭日
横濱コレクターズモール(中1階)
電話/045-651-0951
営業時間/月~木11:00~18:00、金~土11:00~19:00、日・祭日11:00~18:00
定休日/水曜
濱族(中1階)
電話/045-212-2824
営業時間/11:00~18:00
定休日/水曜
シルク博物館
電話/045-641-0841
営業時間/9:30~1700(入館は16:30まで)
定休日/月曜(祝日は翌日に振り替え)、12月28日~1月4日
入館料/一般500円
のんべえさん
2016年02月28日 02時07分
現在の日本経済の主軸って何ですかね?即答できません・・。
gthanaさん
2016年02月19日 22時11分
かつてホテルだったとは知りませんでした。歴史的建造物というほど古くもないし、ひと気もないし、さびれ感が強く出ていて残念な建物だと思っていました。斜陽の絹産業とこの建物のさびれ具合が重なると言えば重なるけども、せっかくの一等地、もっと活かせばいいのにと、ここを通りがかるたびに思います。
Nicksさん
2016年02月14日 04時15分
シルクセンターは古きち良き横浜の雰囲気を残していて好きな場所だし、かつてはハマのメリーさんもしばしば見かけた。よこはまいちばんさんが述べているように、ここは横浜発祥の地であってペリー提督と日米和親条約が締結された開港広場と向きあい、氷川丸でチャップリンがはじめて日本に来たときに下船した大桟橋は道なりに続く。シルクセンターを中心に南北に続く海岸通りこそ、横浜そのものといって過言ではなかろう。開港以来、絹貿易で栄えた横浜港であったからシルクセンターは横浜発展の象徴といって差し支えないだろう。歴史と伝統に裏付けされた貴重なエリアだけに、東京都港区に極点集中する諸外国の大使館等の移転・進出を促したり、東京に集中する本社機能や横浜発祥の大企業に対して、この地への移転や回帰を促してほしいと思う。横浜市長が先導してそういう誘致活動と成果を出すことで市内の高揚感や経済波及効果は高まると思う。