かつて戸塚区にあった人工スキー場「アストロ横浜スキー場」って何?
ココがキニナル!
戸塚区下倉田にあった人工スキー場はどうなった? 当時の様子を調べてください(まさぼーさん、熱いおやじさん、Tosh.さん)
はまれぽ調査結果!
「アストロ横浜スキー場」は1972年~1985年ごろまで営業していた。オーナーは同地で現在バッティングセンターを経営している
ライター:小方 サダオ
横浜スキー同好会の会員に当時の様子を伺う
当時、アストロ横浜スキー場で滑った人に話を聞きたくなった。
そこで1959(昭和34)年に誕生し、50年以上の歴史がある、「スキーを楽しむ」ことを最大の目的としながら多くの指導員を輩出している横浜スキー同好会(YSD)の関係者に連絡を取ると、一人の会員の方を紹介してくれた。
正指導員をしている現役スキーヤー佐藤源之(さとう・もとゆき)さんに、昭和50年代のお写真を見せてもらいながら話を伺った。
「私は当時、金沢区にある関東学院大学のスキー愛好会に入っていました。車にスキー板を積んで学校に行き、授業のない午後などを利用してそのままアストロ横浜スキー場に向かったりしていました。愛好会の会員と数回、また一度だけ恋人と行ったことがあります」
スキー愛好会の会員と車で通ったという
「夏から秋にかけて、冬シーズンまでのウォーミングアップの感覚で利用していました。斜面は急でもなくゆるくもなく、中くらいの傾斜でした。距離はそんなに長くないので、直滑降してしまうとすぐにふもとについてしまいます。そこで何度も短い距離でターンを繰り返して降下するようにして楽しんでいました」
「雪と比べてビーズは重いせいかターン時に沈み込む形になりやすく、軽やかで正確なターンをすることは難しかったです。しかしオフシーズンのバランス感覚の確認などは十分に出来ました」
アストロ横浜スキー場はバランス感覚の確認に役立ったという
「ビーズの上に水を流して滑りを良くしていたのです。しかしビーズがスキー板の金具の中に入り込んで取りづらくなるのは面倒でした。またビーズの敷かれたゲレンデ部分以外はビーズの敷かれていないブラシ部分なため、もしそこで転んだ場合には擦りむいて怪我をする可能性があります。そのため長袖のウェアを着たりして防ぐことが必要でした」
「住宅地の中のゲレンデ」といった雰囲気のアストロスキー場は印象深かったという
「横浜市内で、周りが緑と住宅地に囲まれた中に、突然雪山のような白い傾斜地が現れ、その中でスキーを滑れることは驚きでした。また滑ると、シュプールを描いたように、白いビーズが盛り上がっているのが、まるで本物のスキー場のようでした」と答えてくれた。
2018年1月YSDのイベント「北海道ニセコpowderツアー」に参加した佐藤さん
豪雪のため雪質が良かったという
スキー板を車に積んで大学に行き、授業後に横浜アストロスキー場に寄るなどは、当時の学生スキーヤーの夏場の過ごし方としてはオシャレであったのではないだろうか?
取材を終えて
戸塚区の山のふもとにあったゴルフやスキーの練習場。山間部の自然の地形を利用して出来るスポーツにとって格好の場所がここにあったのだ。それが現在は、交通に便利な幹線道路や建ち並ぶ住宅地などの都市的な姿に変わってしまった。自然と人の健康の結びつきについて考えさせられた。
真っ白いビーズが夏場のスキー場の雰囲気を演出する
-終わり―
取材協力
バッティングセンター下倉田
http://www.bc-shimokurata.com/
横浜スキー同好会(YSD)
http://www.ysd-yokohama.jp/
ケン坊2さん
2018年03月28日 20時22分
最近アストロスキー場が話題になったのですが回りの人で知ってる人はいませんでしたー!小学校の頃に友達のお父さんが北海道出身でスキーが上手で何回か連れて行ってもらいました。まだスキー場へ手軽に行ける時代でなかったのでとても印象に残っています。ビーズに何か撒いてあったので転ぶと濡れた気がします?友達のお父さんは勢いよく滑っていましたが転んだ時にたわしの様なものでズボンを破ってしまいました。スキー場に行くようになってからは記憶から消えてました。