東京都渋谷区と神奈川の高座渋谷は同じ一族がルーツだったって本当?
ココがキニナル!
東京・渋谷と神奈川の高座渋谷は同じルーツだそう。武蔵国と相模国の両方に領地を持っていた渋谷氏に関して由来が知りたいです。どちらかの地域に末裔に当たる方はいるのでしょうか(栄区かまくらさん)
はまれぽ調査結果!
渋谷氏の祖である渋谷重国は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将。渋谷区と同じルーツかは、諸説あるが確証はない。大和市渋谷に末裔はすでにおらず、綾瀬市に存在した
ライター:松崎 辰彦
「渋谷一族の末裔」をたずねて
綾瀬市吉岡。目久尻川にほぼ沿った道路に、「澁谷測量」の看板が出ている。この会社の社長が渋谷一族の血を引く人物だ。
「澁谷測量株式会社」の看板
その人――澁谷悦郎(しぶや・えつろう)氏は
「父はよく先祖のことを調べていました。わざわざ九州へいって、現地の澁谷氏の痕跡を見てきたりしました」
と回顧する。
名門ならではの密かな誇りを、父上も持っておられたかに感じられる。
自然豊かな早川の土地だが、澁谷家は代々名主として地元を管理してきたと悦郎氏は語る。
「戦前は特にほかに仕事をしなくても、澁谷家は生活できたんです。田畑を地元の人に貸して、収益を得ていました」
こうした生活が戦後の農地開放で一変する。所有していた多くの田畑を手放さなければならなくなり、澁谷家も生活手段の獲得に迫られた。
「私の祖父はアメリカ軍相手の仕事をしていました。一種の土建業のようなことをしていたみたいです。そのほかにもガソリンスタンドや植木屋など、多方面の事業をしていたようです。その後1959(昭和34)年に、父は測量の仕事を始めました。そして私もその仕事を受け継いでいます」
澁谷氏
肝心の家系に関して伺うと「渋谷一族の末裔・・・ということになっております」と笑みをこぼしながら答える。
「家系図のようなものは伝わっておらず、家訓もなく、何も証拠はないんです。ただ先代からうちはそういう家系なんだと言い聞かされて育ちました」
澁谷家は墓所の記録で、あるところまで代をさかのぼれるという。その証拠があります、と近くのお寺に案内された。
先祖から受けたものを大切にしたい。―かつて渋谷一族が存在した―
臨済宗済運寺(さいうんじ)。澁谷測量の近くにあるこのお寺は、開山が1349(貞和5)年、渋谷重国の子孫・渋谷平次郎某(しぶやへいじろうぼう)が中興開基(寺を再興した)として地元の人に知られている。
済運寺
済運寺の由緒が書かれている
由緒書きには徳川家光(とくがわ・いえみつ)将軍の乳母であった春日局(かすがのつぼね)がこの周辺に所領を与えられ、屋敷を建てたことが記されている。彼女の位牌、愛用の茶臼や茶釜もあるとのこと。
ここに澁谷家の墓所がある。
「私の家系は江戸時代まではここに記録がありますが、それより以前は不明です。そして女性の先祖がずいぶん格のある戒名を受けているのです。父に言わせると、これはこの人たちが春日局のお側仕(そばづか)えをしていて、その功績からもらえたものではないかということです」
墓誌を指さして説明する悦郎氏
墓誌を拝見すると檀家の中でも筆頭に記されているなど、地元の名家であることがわかる。
澁谷家の名前が最初にある
ご自分が「渋谷」の血を受け継いでいることに関してどうお考えであろう。
「『渋谷重国の一族ですよね?』と尋ねられたら『はい』と答えます。というのも、そうした問いに『いいえ、知りません』と答えるようでは、人間としての“格”に関わると思うからです。先祖は私の代まで、たしかに土地や一族としての信用を残してくれた。こうしたものを受け継いだ事実がある以上、自分が『渋谷』の人間であることを表明すべきであり、それが先祖からいただいたものを大切にすることだと思っています」
1959(昭和34)年11月27日生まれの悦郎氏。綾瀬の地にかつて渋谷一族が存在したことを身をもって証している。
目久尻川にかかる新武者寄橋(しんむしゃよせばし)
「かながわの橋100選」にも選ばれている
渋谷重国の一族郎党がいざというときに集合した場所だから“武者寄”なのだとか
取材を終えて
神奈川県大和市渋谷と東京都渋谷区の関係に確証はない。今回は郷土史家の大津氏の説をご紹介したが、両「渋谷」の関係は“地名・人名いずれが先?”かつ“大和市渋谷・渋谷区いずれが先?”という問題もからみあい、なかなか複雑である。
しかし大津氏は「この二つの地域を渋谷重国の血縁が支配した可能性は非常に高いと私は考えますし、かつての相模国と武蔵国にまたがる地域で縁があったこともほぼ間違いない事実と思われます」と強調する。
続けて、「これからは東京都渋谷区との間で文化的な交流をしていきたいです」と語る。
すでに渋谷区のイベントに大和市渋谷の人々が参加するなど、互いの往来は始まっている。
渋谷一族の伝説的な武人、渋谷金王丸(しぶやこんのうまる。源義朝・頼朝に仕えたという)を祀った渋谷区の金王八幡宮の例大祭には大和市渋谷からも市民が武者姿で参加し、注目を集めた。
武者姿に人々の注目が集まる(画像提供:大津嘉久)
渋谷区にある金王八幡宮の例大祭に大和市渋谷から参加(画像提供:大津嘉久)
大和市渋谷と東京都渋谷区。遠く隔たった二つの土地は、いにしえの武将によって見えない糸でつながれていたのである。
-終わり―
取材協力
株式会社大津商店
住所/大和市下和田927
澁谷測量株式会社
住所/綾瀬市吉岡1781
綾瀬市役所
https://www.city.ayase.kanagawa.jp/
神奈川県埋蔵文化財センター
http://www.pref.kanagawa.jp/docs/ar3/cnt/f6656/
神奈川県政策局政策部
http://www.pref.kanagawa.jp/div/0102/index.html
参考文献
『写真で見るあやせ』(綾瀬市)
他
栄区かまくらさん
2019年03月24日 16時30分
投稿者です。非常に綿密な取材をいただき、ありがとうございます!鎌倉時代の下向がいまの日本を作っているのはよく知られていますが、渋谷氏と東郷平八郎元帥の関係は初めて知りました。やっぱりロマンがありますね。