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多国籍の人々が暮らす県最大の公営住宅「いちょう団地」と一見入りにくい「超ディープ」なベトナム料理店「タンハー」に突撃!

ココがキニナル!

横浜市と大和市の所に外国人が多く住むいちょう団地を調べてください。団地内の様子もお願いします(JOKERさん)タンハーというベトナム料理屋店がディープすぎて入りづらいので突撃してください。(たこさん)

はまれぽ調査結果!

横浜市と大和市にまたがる公営住宅いちょう団地は居住者の2割が外国籍。タンハーは超入りにくいが本格的なベトナム料理が格安で味わえる店だった!

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ライター:松宮 史佳

投稿によると、横浜市と大和市に「いちょう団地」という外国人が多く住む集合住宅があるらしい。「いちょう団地」を管理する神奈川県住宅営繕事務所に問い合わせてみると・・・。

なんと、「明日なら(取材)OK」とのこと! 最近、いつもにも増して突撃取材が多い松宮。が、これは行くしかない! 



県最大の公営住宅「いちょう団地」

早速、県営住宅部入居管理課課長・橋本さんと募集担当・児玉さんにお話を伺う(残念ながら写真はNG)。

児玉さんによると、「いちょう団地」は“神奈川県最大の公営住宅”とのこと。
 


県内最大の公営住宅「いちょう団地」の広さは27万2476.9平方メートル
 

境川を挟み、住所が横浜市側の「上飯田」と大和市側の「下和田」の2つに分かれている


建てられたのは今から約40年前の1971(昭和46)年。以後、改築や増築を行い、現在の棟数は1から84棟まで。
 


そのうち、横浜側が1~48棟、大和側は51~84棟(49から50棟は欠番)


規模は横浜側の方が大きく、入居率は93%と高い。
 


「いちょう団地」が建てられた当初1971(昭和46)年の写真


団地の種類は低層階(5階建て)・高層階(12階・15階建て)の3つ。入居戸数は横浜側が2096戸、大和市側は1287戸。戸数は横浜側が2238戸、大和市側は1394戸。

2003(平成15)年に施行された「指定管理者制度」(株式会社をはじめとする団体に公の施設の管理・運営を代行させること)に基づき管理するため、基本的に居住者からの相談や苦情の一時的対応は民間サービス業者が行う。業者が対応できない場合は県が対応するそうだ。
 


団地内には民間のサービスセンターがある


「いちょう団地」を含むすべての県営住宅の入居条件は下記の3つ。

1. 県内に6ヶ月以上居住していること
2. 月収が15万8千円以下であること(総収入ではなく、控除などを入れて計算したもの)
3. 住宅困窮度-「現在、他人の家に間借りしている」「住宅用でない建物に住んでいる」など。こちらは自己申告制だが、後日二次審査までに調査される。

上記の3つすべてに当てはまれば、応募する際に国籍や年齢は関係ない。しかし通常公営住宅は家族向けであり、単身者向けの応募は60歳以上が対象。応募者は書類審査と面接を経て、入居可能となる。家賃は収入に応じて異なるそうだ。



外国人が入居するようになった歴史的背景

もともと、公営住宅は戦争で家を失った人や引揚者のために建てられるようになった。『かながわ公営住宅40年のあゆみ』によると、県で最初に公営住宅が建てられたのは1948(昭和23)年。当時は海外引揚者寮と言われており、団地名は「立花荘」と記載されている。だが、建てられた場所は記載されておらず、不明。
 


『かながわ公営住宅 40年のあゆみ』
 

県で最初に建てられた海外引揚者寮(公営住宅)「立花荘」と・・・
 

「走水(はしりみず)改良住宅」

 
ちなみに「走水改良住宅」は“走水改良アパート”として現存するそうだ(写真は昭和38年に撮影)。

「いちょう団地」の入居が開始された1973(昭和48)年当時、入居者はほとんど日本人だった。ではなぜ外国人の入居者が増えたのか? さらに詳しく伺うと「大和定住促進センターがあったからでは」と答えてくれる児玉さん。

大和市出身の松宮。「確かに定住センターがあった!」と思い出す。

大和定住促進センターは1975(昭和50)年の南ベトナム共和国崩壊により、大量に難民となったベトナム・ラオス・カンボジア人を受け入れるため、政府によって1979(昭和54)年に大和市南林間に開設された。同センターでは1998(平成10)年に閉所するまで2090人が日本語教育を受け、1045人が斡旋によって就職。社会に巣立っていった(大和市HPより)。

つまり、ベトナム・ラオス・カンボジアを中心とした外国人が大和市周辺に増え、いちょう団地に入居するようになったのは「1979(昭和54)年以降」と考えられる。
 


日本はベトナム・ラオス・カンボジアから難民を受け入れていた


児玉さんいわく、現在、いちょう団地の入居者は「全体の約2割が外国籍の方」とのこと。
外国籍の方の中には日本語がまったくわからない人も多い。そのため県では入居に際し、居住者に「暮らし方のマニュアル」を配っている。
 
「暮らし方のマニュアル」はいちょう団地の自治会から要請があり、1999(平成11)年より配布を開始。マニュアルは日本語のほか、英語・ベトナム語・中国語・韓国語・スペイン語・カンボジア語・ラオス語があるそうだ。ラオス語はめずらしい言語で、印刷部数が少ないため「1冊作るのに3000円ほどの費用がかかった」とか!
 


英語や中国語など、職員の方が翻訳できる言語から翻訳を開始した

 
ここで自治会について伺うと(自治会は)棟ごとにあり、連合自治会がまとめている。それぞれ確認しないといけないため、この場ではわからない」とのこと。・・・これは再び「いちょう団地」へ突撃するしかない!