横浜では有名!? 河童がいたという川の伝説について教えて!
ココがキニナル!
ほとんど暗渠(あんきょ)化された滝の川や、鶴見川など横浜に古くから伝わる河童伝説と、その真相について調査してほしいです。(ねこぼくさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
現在は河童が姿を見せるには難しい環境かもしれない。今回は滝の川、鶴見川、いたち川に残る河童伝説を紹介!
ライター:ほしば あずみ
横浜を流れる水系は全部で8つ。北から鶴見川、入江川、滝の川、帷子川、大岡川、宮川、侍従川、境川。それぞれから分かれた支流は全部で58河川になる。
これだけ川があるなら、水辺の妖怪「河童」がいるのも不思議ではない気がする。
河童伝説といえば民俗学者、柳田國男の『遠野物語』が有名だが、河童が住むのは岩手県遠野市だけではない。古来より日本全国に河童の目撃譚(たん)はあり、それは横浜も例外ではないのだ。
Googleで「河童」をイメージ検索した結果の一例
今回は、投稿にあった滝の川と鶴見川に加え、栄区を主流とするいたち川(いたちは「けものへんに由」)の河童伝説をご紹介する。
滝の川河童伝説
昔、神奈川宿の権現山(ごんげんやま/現在の幸ヶ谷公園一帯)にはおよそ40尺(約12メートル)ほどの滝があった。滝の水がそそぎ込むので麓(ふもと)の川の名を滝の川と呼んだ。
滝つぼには河童が住んでいて、馬や子どもを川にひきずり込んだり田畑を荒らしたりする悪さを繰り返していたという。
そこで宿場のはずれに住んでいた浪人(仕える主がいない侍)が河童退治に乗り出す。
桜の名所幸ヶ谷公園(神奈川区幸ヶ谷)。京急「神奈川駅」近くの階段の上にある
雨の降る夜、浪人が馬方に変装して馬を引き、滝の橋あたり(一説には滝つぼの付近とも)にさしかかると、何者かが馬の背中に飛びついた。見るとメスの河童だったという。
やおら刀を抜き斬りかかろうとした浪人に、河童は驚き命乞いをする。
浪人の剣幕に驚き、河童は二度と悪さをしないと誓った(イメージ)
「私は滝つぼに住んでいる河童ですが、去る年に夫が大蛇に戦いを挑まれ命を落としてしまいました。以来、二人の子河童を育てるため悪いこととは知りながら、尻小玉や食べ物を盗んでいたのです。もう二度と悪さはいたしませんので命ばかりはお助けください」
(※尻小玉・・・尻の付近にあるとされる何か。河童の好物で、これを河童に抜かれると人も馬も腑抜けになってしまうといわれている。)
そして、それが嘘ではないという証拠に浪人の家には死んだオス河童の頭蓋骨(一説には頭の皿とも)が投げ込まれ、以来河童は姿を見せなくなった。
その頭蓋骨(皿)は昭和のはじめまで三ツ沢の藤巻家に保存されていたと伝えられている。
戦国時代は城も築かれたという権現山だが、今その名残はない
権現山は安政年間(1854~1860)に神奈川台場の用土として削られて低くなってしまった。また1856(安政3)年8月25日の暴風雨で杉の木立が倒され自然に水が枯れてしまったという。権現山が舞台となる河童と浪人の話は、それよりも前のことだったのだろう。
滝は消えたが滝の川の名は残った。奥に見えるのが、浪人が河童をこらしめた滝の橋
付近には神奈川宿歴史の道の碑が立っているが、河童への言及はない
『金川砂子(かながわすなご)』に描かれた江戸後期の神奈川宿
『金川砂子』とは1824(文政7)年に煙管亭喜荘(きせるていきそう)が描いた神奈川宿周辺(生麦~保土ケ谷の入口)の案内。だが、この絵では権現山の滝の様子はわからない。
以前紹介したように神奈川宿周辺は「浦島伝説」があることで知られている。
それに比べると河童伝説は、ややマイナーな話かもしれない。
でも今は浦島太郎にちなんだ亀モチーフの車止めも河童の甲羅に見える