江戸時代の趣深く、今なお人が住む長屋門がなぜ白楽に?
ココがキニナル!
白楽駅近くに長屋門があり、人も住んでいるようです。この門を通らないと奥の住宅街にも行けないし、どんな経緯で存在しているのか調査してください(RIPさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
関東大震災で焼失したものを、地主が補修し、白楽の私有地に移築。一帯は地主の私有地で、現在は「長屋門」の奥に住む住民のために解放されている
ライター:阿良川 遊
今なお残る「長屋門」
投稿をもとに降り立ったのは東急東横線白楽駅。下町的な昔懐かしい雰囲気がただようエリアだ。この街に「長屋門(ながやもん)」なるものがあるという。
長屋門とは江戸時代に入る前あたりに誕生したといわれる、門と住居が一体化した建築のこと。江戸時代に武士の住む家にひろく見られるようになったという。門の両側に住居を設け、門番や家来たちを住まわせることが多かったらしい。
現存する長屋門としては、埼玉県熊谷市にある「根岸家長屋門」がよく知られている。根岸家長屋門はかつて周辺地域を治めていた豪農の屋敷門だ。両脇に窓枠があることから、部屋がしつらえてあることが分かる。
根岸家長屋門(フリー素材より)
さて、白楽の長屋門はいったい、どのようなものなのか・・・早速調査を開始した。
小さな店と住宅が建ち並ぶ白楽駅周辺
駅から歩くこと数分。界わいは土地の高低差がはっきりとしており、坂や階段の多さが目立っている。
住めばきっと足腰が鍛えられる
急な坂の途中、突如古びた門が姿を現した。現代風の一戸建てが建ち並ぶ住宅街に古風な建物が佇むさまは、ある種異様とも言える。
坂の途中に門が見えてきた
門の両脇にぴったりとくっつく形で住居があり、その姿はまさに「長屋門」そのもの。門の両側の住宅に人が住んでいる様子だったので、声をかけてみることに。
坂の途中にそびえる門
まずは、向かって左側のお宅から。インターホンを押すと中年女性が出てきて、取材に応じてくれた。女性は結婚してから数十年、この家に住んでいるという。
「この門について調べているんですが、何か知っていますか?」とたずねると「よく知らないけど、この一帯はナカムラさんという地主の持ち物で、その人がどこかから(門を)もってきて移築したらしい」との答え。
さらに「昔はいつも閉まっていて、ナカムラさんと、そこの土地に住んでいる人が通るときしか開かなかったらしいよ。詳しく知りたかったら、お寺の先にナカムラさんのお宅があるから、そこでたずねるといいですよ」とのこと。
今は、門としての役目は果たしておらず、このようなついたてを用いて開いたままになっている。
門はずっと開いている
ついたて部分にはうっすらと跡が。開いたままになっている時間の長いことが分かる
向かって右側、もう一方のお宅にも声をかけてみた。インターホンに反応したのか、犬の鳴き声。少し待っていると、中から老紳士が顔を出した。「門のことを調べているんです。お話を・・・」とお願いすると「俺? 分かんねえよ」と言いながら、ニコニコと応じてくれた。
長屋門に暮らす熊本さん
御年88歳というこの男性は熊本さんといい、終戦後間もなく、この住宅へ越してきたと話す。熊本さんいわく「ナカムラゲンベエってのが十何代か続いてた、ここの地主だったんだよ。この門は昭和のハナにゲンベエがどっかから持ってきたらしいよ」。
門が他所から移築されたものであること、ナカムラさんという地主がいることは先の女性の話と一致する。
太平洋戦争では空襲を免れたという。古い建築ならではの存在感が漂っていた
熊本さんのお宅の間取りは2K(和室二間・風呂・トイレ・台所)とのこと。賃貸だというので家賃を聞くと、恥ずかしそうに「安いよ」と笑った。「またゆっくり来ればいいよ。いろいろ話してやるよ、死ぬまでには」と。いいえ、これからもお元気で。
ここで、坂を上ろうとするご婦人がいたので、門のことを聞いてみた。今は坂の上に20軒ほどの家が並ぶが、昭和の初めは5軒程度しかなく、通るたび自分たちで門を開閉していたのだという。
「今はお家も増えたから、いちいち閉じるのが手間で門は開けっ放しになっているの」とのこと。それでも、「知らないと、門が開いていても『ここ、通っていいの?』なんて風に立ち止まる人もいるの」だそう。
確かに戸惑うかも・・・
すると、もう一人お母さんが増え、二人から、井戸端会議的に話を聞くことができた。「ナカムラさんは由緒あるお家。ナカムラゲンベエさんは15代目っておっしゃってたかな。ご家族が今もお元気でいらっしゃる。このへんは白楽駅のほうから商店街のほうまで、全部ナカムラさんの土地だった。近くに住んでるから話を聞いてみたらいいんじゃないかしら」とのことだったので、お母さんたちと別れて門を離れ、ナカムラ邸を目指した。