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岡野欣之助氏が造った別荘「常盤園」はどこにあったの?

ココがキニナル!

その岡野良親御子孫、岡野欣之助氏が造った別荘「常盤園」。今の常盤公園より6倍も広かったそうですがどのエリアだったのですか?また当時の様子は?(yamaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

当時の「常盤園」の様子を知ることは困難ですが、文献には賑やかだったかつての様子が残っていました。その範囲は現:常盤台のほぼ一帯でした。

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ライター:ほしば あずみ

明治時代の実業家、岡野欣之助(おかのきんのすけ)は保土ケ谷出身。
江戸時代末期の保土ケ谷宿の豪商で、岡野良親の遺志を継ぎ新田の干拓事業を完成させた良哉の長子だ。完成した新田は岡野新田と呼ばれ、現在の岡野町にあたる。

欣之助も祖父や父同様に私財を投じて保土ケ谷や岡野町の近代化に尽力した。
「常盤園」は明治期の人口増加で公園が不足していると考えた欣之助が、所有していた別荘を公園に造成し一般に開放したものだ。



野趣に富んだ「常盤園」の賑わい



現在の「常盤公園」の6倍の規模だったという当時の「常盤園」。
その範囲は現・常盤台のほぼ一帯だった。
 


大正末期から昭和初期にかけての常盤台の様子


常盤園には起伏の多い丘の芝生に3000坪のひょうたん池、2600坪の運動場が2箇所あり区内の小学校の遠足や運動会に使われた。

またオートバイレースなどの競技会が行われたり、当時としては珍しいテニスコートも設けられていた。また小動物園などもあった。

梅や桜、松、竹林や数千本の紅葉に200種を越える牡丹や芍薬(しゃくやく)、山吹、萩といった花園に東屋も点在し、四季折々の花の頃にはお茶屋や料理屋が店をだし大勢の市民で賑わった。

丘の上にある公園への交通手段として、常設の定期便馬車を出したこともあったという。
 


現在の常盤公園へ向かう道。意外なほど通る人が多く、流れが途切れない


相鉄線「和田町」駅から直進して県道16号線を超え、住宅地の間の抜け道のような小さくて急な坂をのぼったところに現在の常盤公園はある。

この坂道は、かつての常盤園で「お茶場の坂」とされている道に該当すると思われる。
 


木製の電柱跡。古くからの道であった証
 

現在の常盤公園
 

テニスを楽しむ人の姿も


常盤公園の北側には横浜国立大学のキャンパスが広がっている。
学生たちが和田町駅からの通学路として常盤公園の中を突っ切っていくので、小さな坂道も公園内も人の姿が途絶えなかったのだ。