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横浜の古道を歩く 柏尾通り大山道その2 ―谷戸田跡・田園地帯編―

横浜の古道を歩く 柏尾通り大山道その2 ―谷戸田跡・田園地帯編―

ココがキニナル!

市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさん)

はまれぽ調査結果!

庶民の信仰への思いが形になった街道「柏尾通り大山道」の第2回は、谷戸田跡の閑静な住宅地を経て緑豊かな丘の上の田園地帯に至る。

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ライター:結城靖博



川筋を離れ谷戸田跡へ





第1回は途中からずっと阿久和川(あくわがわ)の川筋に沿って続いていた大山道(おおやまみち)だったが、今回はこの川といよいよ別れを告げるところから始まる。


前回の終着点


画面手前を横切る道がこれまで左方向から歩いてきた大山道=瀬谷柏尾(せやかしお)道路。大山道はここを左折する。また、瀬谷柏尾道路はここから「ほしのや道」という名の別の古道に変わり画面右方向へ続く。

画面奥へ通じる道が、これから歩いていく大山道だ。
 

まずは不動橋を渡る



橋の上から望む阿久和川の流れ



渡り終えるとすぐ右手に永明寺(ようめいじ)別院がある


太田道灌(どうかん)が開創の祖といわれるこの寺院は、1542(天文11)年創建の古刹だ。しかし1923(大正12)年の関東大震災で崩壊し、元の境内からほど近いこの地に移された。

その後、1992(平成4)年に旧跡地に本堂が再建され、以来ここは「別院」となる。


永明寺別院の門前



左手には不動明王像を乗せた立派な大山道の道標がある


高さは2メートルほど。写真では見えづらいが、右側面には「右 ほしのやミち」と刻まれている。

左隣りの黒っぽい石塔は、出羽三山供養塔(でわさんざんくようとう)だ。山岳信仰の対象だった出羽三山(羽黒山・湯殿山・月山)への参拝記念として建てられ、東日本各地に多く残されている。ここにある塔の建立は1820(文政3)年だ。


永明寺から先は昔「西田谷戸(にしだやと)」と呼ばれていた


谷戸とは丘陵地の谷間のこと。そこには、谷戸田(やとだ)と称する棚田が広がっていた。


同寺院をあとにしてまもなく、左手にまた「永明寺」と書かれた案内板が現れる


ここが平成になって再建された本院だ。上の写真の右手が大山道だが、ここでちょっと本院に寄り道してみた。


坂の途中で石仏様が親切に行き先を指し示している



その先になぜか大きな檻があった。でも右の檻に鶏が2羽いるだけだ



坂を上りきると長い急階段が待ち構えていた



階段を上ってようやく本堂にたどり着く


さすがに近年再建されただけあって、境内も広く建物も立派だ。


本堂右奥には大きな聖観音像もそびえていた


しかし大山道と関連する史跡は見当たらず、もと来た道へ引き返す。


大山道はしばらく永明寺の擁壁に沿って続き


擁壁が途切れた少し先の左手に、柏尾通り大山道の解説板を発見。


その解説板のすぐ右隣りに、心惹かれるものがあった



地神塔(右)と双体道祖神(左)だ


地神塔は農耕とつながる大地の神を崇める地神信仰から生まれ、東日本では特に神奈川県に多く分布する。


解説板を読んでみる


地神塔は別の場所にあったものが、宅地開発のためにここに移されたとのこと。塔の右側面には「上り 大山道 下り かしを道」と記され、道標も兼ねていた。

地神塔から先は、


大きな土蔵を持つ旧家や



緑鮮やかな竹林を左手に見つつ


住宅地の中の路地を進む。


やがて路地は突き当たり



左を見ると住宅地



右を見ても住宅地


ここは右に進路をとることにする。なぜなら左側は「この先行き止り」、でも右側の先には階段が続いているからだ。

事前資料によれば、元々大山道はこの突き当たりから先へ続く道があったらしい。だが、かつて谷戸だったこの辺りは宅地開発が進み、地形を大きく変え、本来の古道の道筋も消滅してしまったようだ。大山道解説板の文中にあった「男坂」「女坂」も、今では判然としない。


というわけで右側へ進み、その先の短い階段を上ると



その上には公園が広がっていた


「桂坂(かつらざか)公園」だ。

旧道があいまい化しているエリアではあるが、この先の今でもわりとはっきりしている大山道につながるためには


公園の中の舗装道を通って



左手に現れるこの道から公園を出て


そのまま直進するのが望ましいようだ。しかし、ここでまたちょっと寄り道したい。


園外に出たら、直進せず右手へ折れる


大山道解説板に書かれていた「中川地区センター」が、すぐ近くにあるからだ。


そこは公園からわずか1ブロック先の左角に位置している



敷地内に入り右手の駐車場の奥を見ると・・・



いくつもの石塔が整然と並んでいた



これは庚申塔。大山道解説板に触れられていたものだろうか



きれいな姿形を残す青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)もある


宅地開発以前、大山道の道沿いにこれらの石塔が点々と存在していたのだ。


再び公園に戻ると、今度はさきほどの出口を直進する



そこは、お洒落なプロムナードだった


短い階段と踊り場が繰り返し続く上り坂の小道。踊り場には道路が交差し


左右に真新しい住宅が連なっていた


元は西田谷戸の棚田が広がっていたと想像される土地は、造成後の今ではすっかり瀟洒(しょうしゃ)な新興住宅地に様変わりしている。


プロムナードを上りきった右手に「ファッションセンターしまむら」があった



ここは西が岡2丁目交差点だ


宅地開発で旧道が消失した西田谷戸=桂坂エリアだったが、この交差点を右折すると大山道のルートは、またかなりはっきりとしてくる。


数分歩くと右側に「いなげや」が現れ



目の前には大通りが横たわる。県道218号線だ


場所は西が岡1丁目交差点。不動橋からここまでの距離は1kmちょっと。大山道をただ歩くだけなら20分もかからないだろう。

下のマップの赤いラインがその行程、紫のラインが永明寺本院と中川地区センターの寄り道ルートだ。


© OpenStreetMap contributors)



女坂をたどる


この辺りで西田谷戸は終わり、景色はまた変化していく。


西が岡1丁目交差点を左折し、しばらく県道218号線上を進む


事前資料によれば、この通りは、大山道解説板にあった「女坂」の一部に当たるらしい。そして、道の途上には左手に「堅牢大地神」と記された地神塔があるはずなのだが、なかなか見つからない。


と、こんなところにあった!


植え込みに身を潜めるように佇む石塔。実はこの場所は、初め気づかずに素通りしてしまったところだった。その後石塔探しに裏道をしばらくさまよい、半ばあきらめて県道に戻ったところで、あらためて発見した。


近づくと、薄くて見づらいが確かに「堅牢大地神」と刻まれている


植込みが邪魔をして写真は撮れなかったが、右面には「此方 かしを道」、左面には「此方 大山道」と記され、道標を兼ねていた。造立は1866(慶応2)年。


堅牢大地神の先を少し進むと、国際親善総合病院前の交差点に至る


この病院の歴史は古い。元々幕末に開港場(かいこうば)の外国人居留地に建てられ、平成になって現在地に移ってきた。その間病院名は何度か変わったが、現在の名称からもその来歴がうかがえる。

由緒ある病院を越えた先の脇道を左折して、大山道は県道218号線を離れる。交差点名は「西が岡1丁目西側」。


銀色の軽自動車が進入しつつある道が、この先の大山道だ



脇道に入ると、病院を左手に見ながら坂を上る


ここもかつて女坂の一部だったようだが、名前のわりにけっこうな勾配があり、距離も長い。


やっと上りきると、目の前に木々が茂るT字路にぶつかり



ここを左折すると


また、すぐに突き当たる。そのT字路を今度は右折。


これは別の角度から見た二度目のT字路付近の眺め


写真右手が今歩いてきた道で、大山道は画面奥の細い路地へ続く。その路地に入っていくと、


右側に畑が広がっている


この畑の中には、かつて「むじな塚」と呼ばれる高さ1.5メートル、東西4メートルほどの塚があったが、現在は消失している。また、塚の上には宝篋印塔(ほうきょういんとう)と馬頭観音が建っていたが、それもまた今はない。

ところが、塚の上にあった宝篋印塔と馬頭観音を、まったくの偶然に、近辺の別の場所で発見することができた。それは上述の路地の先へ進む前に、「男坂の痕跡はないか」と周囲を当てもなくうろついていたときのことだ。


二度目のT字路を左に曲がった先の道


道は左手に崖を見ながら右に大きく屈折する。そこをもう少し進むと、右手に黄色い建物があった。「そんぽの家GH弥生台」という有料老人ホームだ。


その外壁の植え込みの中に



石塔(左)と馬頭観音(右)があった


実はこの時点ではたまたま発見し、とりあえず記録として撮っておいただけだった。

だが、取材後に調べた文献に掲載されていた「むじな塚」上の宝篋印塔と馬頭観音の古い写真を見ると、明らかに同じものであることに気がついた。思いもよらぬ偶然の出会い。だから古道歩きは面白い。

さて、そろそろ大山道に戻るとしよう。


かつてむじな塚があった畑が右手に広がる路地を進む


古くはこの辺りで男坂と女坂が合流していたらしい。畑の中には男坂の痕跡があったようだが、今はそれも消失している。

大山道はこの先、当分平坦な道が続く。


民家にはさまれた路地を100メートルほど進むと



少し大きな道に突き当たる


大山道はここを右に曲がるのだが、目の前に横たわる道は、古くから「郷境道(ごうざけえのみち)」と呼ばれ、戦国時代から存在した古道でもある。

西が岡1丁目交差点から郷境道との合流点までの距離は600メートル足らずだ。徒歩10分もかからない。もちろん、脇目もふらずに歩けばの話だが。

下のマップの赤いラインが大山道、紫のラインが偶然見つけた宝篋印塔と馬頭観音が現存する場所までの寄り道コースだ。


© OpenStreetMap contributors)




丘の上の美しき田園風景の中へ





郷境道に合流したら、右折する。そこから先は、丘陵地帯を歩く気持ちのいい道中だ。


右手に林を見たかと思うと



左手に広大な農地を眺め



なんといっても空が大きい!


また、郷境道から先は、地図にも「柏尾通り大山道」の表記があるものが多く、道に迷う心配もない。


まもなく和泉小学校入口交差点にたどり着く



交差点の右角に、また大山道の解説板と庚申塔があった



民家の門の右手にあるこの庚申塔も、道標を兼ねていた


右側面に「南 ふじ沢道 東 かしを道」、左側面に「西 大山道 北 八王子道」と刻まれている。なお、大山道と交わる県道402号線は、かつての「かまくら道」のひとつでもあった。


目の前を横切る道が大山道、縦に走る道がかまくら道



しかし筆者の行く先は正面にあり


上の写真では、目の前を横切るのがかまくら道で、奥へ続く道が大山道だ。


かまくら道を越えて200メートルほど進んだところで、またまた寄り道タイム


大山道はこの道をまっすぐ続いているのだが、左手に見えるピンク色の家の先にある交差点を右折する。


この辺りも住宅地とのどかな田園風景が隣接する



やがて左手に資源循環局事務所の門が見え、その先を左折すると



ブワッと広がる農地の中をまっすぐな道が1本走っている


ここだけ見ると、まるで北海道のようだ。そして、この道沿いの右手を見ると


神社が建っていた


ここは「横根稲荷(よこねいなり)神社」。和泉全域を氏子(うじこ)とし、大山詣りの人々も安全祈願に立ち寄ったという。


本殿右脇には近年発掘されたという「感念井戸(かんねんいど)」がある


鎌倉幕府成立期に活躍した武将・和田義盛(よしもり)の愛妾・巴御前(ともえごぜん)が、信濃に落ちのびる途中に化粧に用いたと言い伝えられる井戸だ。


また、鳥居左脇には、多数の馬頭観音碑が建っている


この地域では昭和の初めごろまで「旗競馬(はたけいば)」と呼ばれる農耕馬の競争が盛んに行われていたという。馬頭観音碑はそれに由来する。

社殿はこじんまりとしているが、見どころの多い神社だが、


筆者が一番心惹かれたのは、鳥居の右脇に立つこの碑だ


「豊かな大地」と高らかに謳う。戦後の土地改良事業の完成記念碑として建てられたものだが、この碑の向かいに広がる雄大な田園風景を、誇らしげに見守っているかのようだ。


神社前の景色。晴れた日にはここから大山も望めるという



周辺の美しい景観を堪能しながら大山道に戻る


大山道をさらに先へ進むと


左手に和泉小学校が見えてくる



小学校を通り過ぎると、右手の道沿いに四角い物体を発見



刻字もすでにほとんどわからないが、これは出羽三山供養塔だ



田園を背景に佇む供養塔。ここはホントに横浜か?


高いビルなどひとつもなく、天高く視界広がる丘陵地を歩く清々しい道中だった。が、それもこの供養塔付近が終点となる。


大山道は供養塔の向かいにある脇道を、左へ折れて続くのだった


郷境道との合流点から出羽三山供養塔までの距離は1.2km弱。歩いて15分足らずだ。下のマップの赤いラインが大山道、紫のラインが横根稲荷神社までの寄り道コース。


© OpenStreetMap contributors)


田園地帯を歩き終えたキリのいいところで、今回は締めることにしよう。

「大山道その2」でたどってきた本道の全道筋は下図の通り。


© OpenStreetMap contributors)


ただし桂坂(旧西田谷戸)付近のルートがあいまいなので、これが大山道旧道の正確な道筋とは言えないだろう。

全行程3km弱。ひたすら歩いたら40分足らずだろうか。むろん、寄り道だらけの筆者が要した時間は、その何倍にもなったが。何倍か分、古道歩きの楽しさを味わえたというわけだ。



取材を終えて




前回の阿久和川沿いの道や歴史豊かな岡津町付近もそうだったが、今回の丘陵地帯の田園風景もまた、横浜という土地の多様さをあらためて認識させてくれた。いわば「柏尾通り大山道」の古道歩きというテーマを通して、まるで「泉区再発見!」の取材をしている気分になってくる。

次回はいよいよ藤沢市との市境に向かって、長後(ちょうご)街道沿いを歩く。ここにもまた、新たな発見が待っているはずだ。どうぞお楽しみに!


―終わり―

参考資料

『横浜の古道』横浜市教育委員会文化財課編集・発行(1982年3月刊)
『横浜の古道(資料編)』横浜市文化財総合調査会編集、横浜市教育委員会文化財課発行(1989年3月刊)
『大山道をたずねて』横浜市図書館/横浜郷土研究会発行(1976年3月刊)
『泉区古道散策マップ』泉区生涯学級古道調査研究会作成(2001年1月第2版発行)
『横浜開港側面史』横浜貿易新報社編集・発行(1909年6月刊)

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  • 多彩な道すじですね〜

  • よこはまうまれです。調査ありがとうございます!大山道、大変興味深く読ませていただいています。「住宅街の普通の道が人や馬が行き交う重要な街道だった」というロマンが凝縮されていますね。しかし、古道シリーズがこんな壮大なスケールの特集になるなんて。投稿者として実に光栄ですね。次回が楽しみです!

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