検索ボタン

検索

横浜のキニナル情報が見つかる! はまれぽ.com

三浦半島の南端、神奈川最大の自然島「城ヶ島」にオープンした海上釣り堀に突撃!

ココがキニナル!

城ヶ島にオープンした海上釣り堀がキニナル。真鯛やイサキが釣れるそう。入漁料分の元がとれるのか?(八景のカズさん)城ヶ島灯台入口にあるカフェ「SEA SIDE HOUSE」がキニナル。(ほっけさん)

はまれぽ調査結果!

海上釣り堀では真鯛やイサキのほかカワハギやカンパチなど活きの良い魚が釣れる。SEA SIDE HOUSEでは店主姉弟の感性と白秋コーヒーが味わえる

  • LINE
  • はてな

ライター:山崎 島

島です、島の記事です。三浦半島の南端に浮かぶ、神奈川最大の自然島、城ヶ島。横浜から1時間半もかからず行けちゃうその島には、未だ知られざる魅力がてんこ盛りなのだ。今回は、その一部をご紹介。



橋を渡って


 


城ヶ島の位置でござい

 
三浦半島の南のさきっちょ、島はぐるっと約4kmだそうで、人口約630人だそうで、かつて詩人・北原白秋も愛したという、美しい景観の島だそうで、それに猫も多いそうで、行く前からワクワクして新しいバッグを買っちゃったり。
 


そして待ちに待った取材日当日の京急三崎口駅

 
嬉しい晴天。が、この日山崎は階段から落ちて顔面強打し、ひどい感じだった。とほほ。でもめげずに・・・
 


2番バス乗り場から出ているバスに乗る

 
ここから城ヶ島行きのバスが出ているのだが「島に行くにはやっぱり船」という方は、三崎港から300円で島に渡れる船「白秋」もあるので、ボンボヤージュ。バスでは約30分で着く。ごとごと揺られている間に・・・
 


城ヶ島についての豆知識を

 
ちょっとだけご説明。

まずは城ヶ島の名前の由来について。どういった理由と経緯で名付けられたか、明確に記された資料は見当たらなかったのだが、今のところ3つの仮説がたてられている。

(1)島には大昔、城があったから(『相模風土記稿』より)
(2)昔、島に尉(い・じょう、官位のこと)某(なにがし)が住んでいたことから、呼ばれるようになったのでは?(『相模風土記稿』より)
(3)三崎の城村という小さな村から移住する人が増えたから、自然とそう呼ばれるようになったのでは(浜田勘太郎氏説)

個人的には3番目が、一番説得力があると思った。いつごろから城ヶ島と呼ばれるようになったのかも定かではないが、1518(永正15)年の記録にはすでに「城ヶ島」と記されていた。

これといった理由や確かな時期は分からなかったけど、その土地で生活している人たちによって自然に呼ばれるようになった、ていうのはむしろ現実味がある。
 


三崎港でちょっと下車。バケツに入って日向ぼっこしているみたいなマグロのカマ

 
ちなみに、城ヶ島の所領支配者、管轄の移り変わりは、鎌倉時代初期から室町幕府末期までは三浦一族が所有していたそうで、その後、戦国期を経て昭和に至るまでのしばらく、長く所有した人はいない。
 


ふむふむ
 

なるほど

 
と、そんなこんなで見えてきたのは・・・
 


城ヶ島大橋

 
三崎と城ヶ島にかかる、なっがーい橋。そして白と赤のあっざやかな2色塗り。1960(昭和35)年に完成した橋長575メートルのこの橋の話については追って記事を書きます。
 


よろしく頼みます

 
ではここからはちょっとだけ「三浦市の車窓から」をご覧あれ。
 


橋を渡る
 

名物(?)の通行料
 

迫力あるーう
 

三崎港の様子ー
 

風見鶏のいる交番
 

で、到着

 
あれ、ほんとにちょっとだけだったな、三崎の車窓から。
 


この時、この辺りにいます
 

京急バスの終着駅。のんびりした島の町と海と空

 
良い所に来たなあ、と頬に心地よい風を受けてしみじみと感じいる。が、顔面が痛い。