【新春特別合作企画】横浜市内に猿が出たらどうなる?
ココがキニナル!
ライター・永田は庚申塔の三猿の「言わざる」に頼んで「猿田坂・猿坂」を散歩。ライター・高橋猿は何かを勘違いし横浜中華街でコスプレ撮影、ライター・万田猿は空気を読まずワイは猿や!と伊勢佐木町で絶叫
ライター:はまれぽサルユニット
言わ猿の横浜坂散歩
明けましておめでとうございます。東急田園都市線は江田駅が最寄り、青葉区荏田宿の庚申塔(こうしんとう)の「言わ猿」と申す猿にて候。
この祠なかにある庚申塔にて
先刻まで青面金剛(しょうめんこんごう)のお足元で「見猿」「聞か猿」とともに
こんな感じで口を覆うていたが祠(ほこら)を抜け出し街へ出よう
庚申塔というのは、庚申待なる平安時代ごろにひろまった民間信仰にもとづいて江戸時代、旧街道筋などに多く建てられたもの。ええ、庚申待(こうしんまち)というのは、干支57番目の庚申(かのえさる)にちなんでおさる待ちなどともいい、といきたいところなれど紙面の都合で詳しい説明は割愛して、さっそく出立。
この庚申塔は1793(寛政5)年に建てられたそうで場所は大山街道の荏田宿の入口
江戸から伊勢原市にある大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)に参拝する大山街道は「矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)」とも呼ばれ、赤坂―青山―渋谷―三軒茶屋―二子の渡し―溝口ときて荏田に至る。江戸からの最初の宿泊地になることも多かったという荏田宿の先は長津田、海老名市の国分、厚木などを経て大山へ。
さて246号線と重なったり並行したりしながら蛇行する道をたどってみれば
ところどころでこのステッカーが、そこが旧大山街道であることを教えてくれ
鼻歌交じりに歩いていけば旧街道沿いには多くあるお地蔵様も発見
旧街道の風情を感じる道行きも紹介したいところなれど、そこは割愛して地蔵堂下
その先のともすればうっかり通り過ぎそうになるこの坂
案内板も何もないので気づきにくいけれどこちら「猿田坂」という名の坂
おそらく急勾配になることを避け迂回して道路が整備されたことで旧道らしい緑も残り、往時を想像させる雰囲気も残るような。
ちなみに坂下の勾配は非常に緩やかだが中腹で8°、最上部は部分的に12°を記録
通り沿いに住む方がちょうど家から出ていらしたので声をかけてみると、10年ほど前にこの場所に来られたそうで詳しくは知らないとのことだったがやはり「猿田坂」で間違いないという話。
かつては木賃宿(きちんやど)や茶屋、旅籠などがならんでにぎわっていたとか
今はなくなってしまったが、庚申塔があったのが坂の名前の由来だそうで、同じ庚申塔の猿だと思えば、撤去されずに祠までつくってもらったありがたみが身に沁みる謹賀新年。
坂を下りて横浜上麻生道路を渡ったその先も大山街道の細道が続くものの
鶴見川へと注ぐ谷本川にぶっつかったのを機縁と散歩を切り上げ異時同図法で中区へ
JR石川町駅で降り地蔵坂を上れば今度は地蔵坂上。しばし歩いて打越橋の手前にあるのが
何と20°という横浜屈指の勾配をもつ「猿坂」
坂の上から眺めやればランドマークタワーも見え
未舗装部分も残るこちらも近代化の木陰に佇む隠れた名坂
ちなみに「猿坂」の名は打越橋の東側が「猿山」が呼ばれたのが由来とか
さて、橋を渡り南区に入って狸坂手前にある唐沢公園からは富士山が一望。絶景かな
というわけで黙って富士に手を合わせ、華やかでにぎやかな正月は2匹にまかせることに。「聞かざる」さん、あとはよろしく頼んだよ。