創業116年、レトロなトロッコがある鎌倉の老舗酒店「三河屋」に突撃!
ココがキニナル!
若宮大路に面した「三河屋本店」の敷地に鉄道のようなレールが引かれ、トロッコが今でも現役で活躍していると聞きました。いつから使われ、レールの奥はどうなっている?(まさしさん)
はまれぽ調査結果!
三河屋本店は1900年創業。関東大震災で焼失したが、1927年に現在の店舗が建てられた。トロッコはその当時から使用され、今も現役で商品の搬入に使用
ライター:ムラクシサヨコ
創業116年の歴史ある酒屋さん
鎌倉・若宮大路には何度も行ったことがあるが、トロッコがある酒屋さんには気が付かなかった。なぜトロッコが? ということで、早速、トロッコのある酒屋さん、三河屋本店へと向かった。
若宮大路に面した「三河屋本店」。鎌倉市の景観重要建築物に指定されている
お話を伺ったのは、店主の竹内正三(たけうち・まさぞう)さん。竹内さんは創業から4代目にあたる。
「三河屋本店」は1900(明治33)年創業。初代が横浜・野毛の三河屋から独立して、この地に酒屋を開いたのだという。
お話ししてくださった竹内さん
開店当初の店舗は、1923(大正12)年の関東大震災で焼失。残念ながら、焼失する前の店舗の写真は残っていないそうだ。
「関東大震災は、東京の被害が知られていますが、震源は相模湾。鎌倉は震源地に近かったので、被害はかなり大きかったんですよ。うちの隣に食堂があって、ちょうど昼食の準備をしていたところに地震があったので、火災が発生。昔の話をよく知っている人からは『三河屋さんは3日3晩燃えてすごかったんだよ』なんて言っていましたね」
関東大震災 鎌倉大震災の惨状 八幡前二の鳥居付近(鎌倉中央図書館所蔵)
「関東大震災 鶴岡八幡宮上宮楼門」(鎌倉中央図書館所蔵)
鎌倉は建物損壊、液状化、津波、火災と被害は甚大だった。街は崩れ落ち、鶴岡八幡宮の鳥居のすぐそばにある三河屋本店から鎌倉駅まで見渡せたという。
直線距離で約800メートル
関東大震災から4年後の1927(昭和2)年前後は、鎌倉で復興が進んできた年。震災で壊れた鶴岡八幡宮の太鼓橋が再建され、JR北鎌倉駅も開業した。
現在の三河屋本店の店舗が建てられたのも1927年。出桁造り(だしげたづくり)という伝統的な建築法で、店の風格を表している。梁や腕木を外側に出したこの建築は、現在、東京の佃島の町屋などに多く残っている。
大佛(おさらぎ)二郎、小林秀雄(こばやし・ひでお)ら鎌倉文士も顧客にもつ老舗
店の奥には蔵があり、蔵に商品を搬入するために、トロッコを用いた。蔵と表通りを往復できるように地面に20メートルほどの線路を引いてある。この建物ができた1927年につくられたものだ。鎌倉は第二次世界大戦中、空襲の被害を受けなかったので、店舗は無事に守られた。
「今はどんどん酒屋さんがなくなっていますけれど、鎌倉に古い酒屋さんが何軒かあったんですよ。トロッコも、昔の酒屋さんにはよくあるものでした」
客層も変わり、観光客を中心に「チョコに良く合うお酒」や
クラフトビールを買い求めることも増えたという
調べてみると、商店の脇に走らせるトロッコは、別名「横丁鉄道」と呼ばれ、各地にあるようだ。現在もトロッコを使い続けている古い酒屋さん、魚屋さん、工場などがさまざまな都市にあるようだ。