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横浜の河川は自然を意識して再生されるのか?

ココがキニナル!

横浜市の川はコンクリ張りで趣きがないのですが、自然を意識した川の再生は行われないのでしょうか?(めるさん、くーとさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

現在、環境を意識した河川改修が主流になっている。魅力的な川を作るべく、横浜市も努力している!

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ライター:松崎 辰彦

「水の都」、港町ヨコハマ。

人々や車が行き交う道路脇を帷子川、大岡川が悠揚たる風情で流れている。水面にはビルの影がゆらめき、夜ともなればホテル脇の川には“もう一つのイルミネーション”が浮かび上がる。
 


横浜は“水の都”である
 

水面に明かりが映る


しかし市街地の河川らしく、両岸はコンクリートで固められている。かつて横浜の川は台風で堤防が何度も決壊し、少なからぬ人命が奪われもしている。防災の見地からすれば、当然の処置だ。
 


コンクリートで固められた川


一方で時代は環境重視に傾き、生態系の維持が唱えられるようになった。
やみくもな効率化、自然破壊にはノーが返されるようになった。

防災と環境──ときに二律背反するテーマをいかに調和させるかが、現代の我々に投げかけられた課題である。「コンクリ張りで趣がない」横浜の川は、自然を取り戻せるのだろうか。
答えを求めて横浜市道路局河川部河川計画課を訪れた。



横浜の川の多くがコンクリートで覆われている

お話いただいたのは、横浜市道路局河川部河川計画課 課長の安田邦彦氏と、係長の岩山剛氏。
多くの資料や地図を前に説明してくれた。


取材に応じて下さった安田氏と岩山氏


「横浜は昭和30年代から40年代にかけて都市化が著しく、人口も戦後急激に増加しました。その頃は毎年のように川が氾濫し、水があふれていました。

とくに昭和33年に狩野川台風が、41年には台風4号が襲来し、狩野川台風では堤防が決壊して数万戸が浸水したほか、多数の犠牲者がでてしまう。こうした水害は昭和50年代にも発生し、被害は深刻となっていた。
 


昭和51年9月洪水の浸水状況
(舞岡川:戸塚区舞岡町 写真提供・横浜市道路局河川部河川計画課)
 

昭和54年10月洪水の浸水状況
(帷子川:横浜駅西口 写真提供・横浜市道路局河川部河川計画課)


これを受けて横浜市は河川については“できるだけ早く水を流す”ことを基本的な施策とし、コンクリートによる護岸を行い、河川の水をスムーズに流すことに力を注いだとのこと。