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【横浜の名建築】春日神社

ココがキニナル!

横浜にある数多くの名建築を詳しくレポートするこのシリーズ。第25回は、港南区日野中央にある『春日神社』900年の歴史を誇るこの神社は、名工の手による彫刻やご神木など、多くの魅力にあふれていた。

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ライター:吉澤 由美子

2012年、元旦に紹介する名建築は、900年を越える歴史を持つ春日神社。指定天然記念物にもなっている社叢林(しゃそうりん:神社を囲む林)の奥に建つ、見事な彫刻が魅力的な神社だ。
 


自然林に囲まれた権現造りの春日神社
 

社殿の正面には今年の干支である龍




民話に残る 春日神社



奈良の平城京に遷都があった710年、藤原不比等が藤原氏の氏神を祀るために作った春日大社。平安時代に隆盛を極めた藤原氏の一族は各地に春日神社を祀るようになる。

港北区日野中央にある春日神社も藤原氏ゆかりの神社。

こちらの春日神社のおこりは、港南区の民話として伝わっている。
 


鳥居の隣には、鹿が彫刻された春日灯篭がある


平安時代の中頃、藤原成実という貴族が京都の仁和寺で不思議な老人から「10年後に大国の長となる」という予言と共に神像を贈られる。紫冠帯剣の木製の神像を、藤原成実は守り神として大事に持っていた。

予言通り1098(承徳2)年に武蔵国の国守となった藤原成実は、ある日、日野の里で、仁和寺の尋清僧都(じんせいそうず)が日野の地を訪れ、旱でも涸れず、飲めば万病に効き目がある霊水が湧く泉をみつけたという噂を耳にする。

その地こそ、藤原氏を守護する春日大明神を祀るのにふさわしい。藤原成実は1099年、その場所に神社を作り、守り神の神像を納め、奈良の東大寺・二月堂から初代の司を招き、穂井(ほい)の神社と名付けた。
 


案内いただいた宮司の松本さん。穏やかで風格のある神職らしい方


「現在も二月堂さんから方丈さん(僧侶)がおいでになりますよ」と宮司の松本さん。900年以上に渡って当初からのつながりを保っているのだ。

穂井の神社は、のちに春日神社と呼ばれるようになり現在に至っている。



江戸の名工による見事な社殿



現在の社殿が建てられたのは、江戸時代末期の1855(安政2)年。

このあたりの領主だった久世大和守の援助を受け、名主である高梨林右衛門が発起人となって荒れていた社殿を造営した。

社殿の建築は、宮大工の竹内三郎兵衛と金子善七があたった。竹内三郎兵衛はこの場所に小屋を建て、そこに住みながら社殿を造った。
 


岩盤を掘り下げて作られている。昔は手掘り。気の遠くなるような作業だ


社殿を飾る彫刻の数々は、高梨林右衛門が神社を巡って探し、安房の名工である後藤利兵衛に依頼したもの。

日野の地は鎌倉に近いこともあって、名主の高梨林右衛門の目も肥えていて、大工の技術も高かった。
 


木材が精緻に組まれている


150年以上前の建物だが、関東大震災でもまったく被害を受けなかった。

去年の3月に起きた東日本大震災の時に宮司の松本さんが見に行くと、ねじれるような独特の揺れ方で力を分散し、ヒビやズレなどを起こさなかったとのこと。

「関東大震災後に屋根を茅葺から瓦に替えて重くなっていたので心配しましたが、伝統的な技は素晴らしいですね」と松本さん。

この構造を学ぶため、工学部の学生も見学に来るのだとか。