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武相国境の位置や当時の生活感はどうだった?

ココがキニナル!

相模・武蔵の国堺の位置や、両国の生活や文化の違い、当時はどちらの国が栄えていたのか、行き来は容易だったのか、どんな生活が営まれていたのか、是非とも調査していただきたい。(ハマっこ3代目さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

武相国境は現在の区境と重なる部分もあれば位置が不明な部分もある。両国に目立った違いはなく、国境は現在の県境のような感覚だった。

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ライター:ほしば あずみ

横浜市は武蔵国と相模国でできている



「武蔵国(むさしのくに)」「相模国(さがみのくに)」は奈良時代に律令で定められ、明治時代まで続いた行政区分による国の名前だ。

相模国は現在の神奈川県の大部分にあたり、武蔵国は現在の東京都や埼玉県、神奈川県の北東部。
実は、横浜市の大半がかつては武蔵国に属していた。

武蔵国は21の郡からなる大国で、横浜市が含まれていたのは久良岐郡(くらきぐん)、橘樹郡(たちばなぐん)、都筑郡(つづきぐん)。

市南西部は相模国の鎌倉郡(かまくらぐん)に属していた。
郡域は時代によって変遷があるものの、およそ以下のとおりだ。
 


 

地図に置き換えるとこのようになる
※現在の区境をもとに塗りわけているので郡境、国境のラインは正確なものではない


国境のラインは主に山の尾根に沿って引かれている。
尾根は「分水嶺」となっており、西側に流れる水は相模湾に、東側に流れる水は東京湾にそそぎこむ川の水系を形成している。

瀬谷以北は山がないので郡、国境は川で隔てられた。境川という川の名前にその名残を見ることができる。

武蔵国と相模国の国境を「武相国境」という(相武と表記する場合もある)。
横浜市には旧国境ラインがあるのだ。



二つの国に違いはあったの?



江戸時代の幕府が編纂した地誌、「新編武蔵風土記稿」「新編相模風土記稿」は横浜の郷土史研究のベースとして欠かせない史料の代表である。

新編武蔵風土記は20年がかりで編纂された全266巻。新編相模風土記は完成まで12年かかった全126巻。
いずれも国内すべての村の風土や名前の由来などの歴史、特産品や名所、神社仏閣や人物、旧家などが記されている。

現在の横浜市に該当する部分だけ読むにしても膨大なうえ、原文そのままを読み下すのは困難だが、興味があれば地元の箇所だけでも目を通してみると発見があるかもしれない。
郷土資料として図書館などで紐解くことができる。

ただ今回は武蔵国と相模国双方を適宜参照してみたが、目立った違いや特徴をみつけることができなかった。

そこで歴史といえばここ! と神奈川県立歴史博物館に尋ねてみた。
 


神奈川県立歴史博物館(中区南仲通)


すると、
「武蔵国、相模国というのは廃藩置県前の行政区分ですが、当時の人は国とか国境をさほど意識していたとは考えにくいと思います」
とのこと。いったいそれはどういう事なのか。

交通も流通も現代のように便利に発達していなかった時代、人々の生活の範囲は身近で限定的なものだった。

身近な行政区分は、国よりも村や郡といった小さな単位であったろうし、村境や国境も現在の区境や県境に相当する境界線であったので、行き来が困難という事もなかっただろうというのだ。
「ただ、たとえば東海道には有名な『箱根の関所』がありますよね。箱根は相模と伊豆の国境である箱根峠、相模と駿河の国境である足柄峠があります。たとえばそういう一部の重要な国境は容易には超えられないようになっていました。
 


2007年に復元された箱根の関所


東海道の保土ヶ谷宿と戸塚宿の間の権太坂は武蔵と相模の国境ですが、ここは現在の県境を超える感覚と同じであったと考えられます」
 


権太坂の武相国境に立つモニュメント


「日本アルプス山脈などの険しい尾根筋で隔てられたような国境であれば、往来も困難でしたでしょうし気候や環境も違って、それが言葉や文化の違いといったことになったと思いますが、武相国境のようなさほど高さのない山の連なりであれば、国を境に極端に文化や風土が変わるといったことはなかったでしょう」

また、当時の税金にあたる年貢の納め先も、武蔵国や相模国はその多くが天領という幕府直轄地と、寺社領だったため、小田原藩のあった現在の小田原市あたりなどの一部を除けば、国による税率の違いといったこともなかったようだ。