反町公園は昔、遊園地のようだったというのは本当!?
ココがキニナル!
神奈川区に反町公園という広い公園がありますが、昔、観覧車や遊園地にあるような乗り物がいっぱいあったと聞きました。本当でしょうか?もし本当ならどんな感じだったのでしょう?(isohamaさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
観覧車はなかったが、開園当初の反町公園にはロケットコースター・ゴーカート・ローラースケート場・スイミングプールなどの遊戯施設があった。
ライター:橘 アリー
『ALWAYS三丁目の夕日』の頃の横浜!?
「反町公園に乗り物があった?」という時代は、映画『ALWAYS三丁目の夕日』と同じ頃のこと。
実は、かれこれ20数年前、橘は神奈川区にあるその反町公園の近くに住んでいた事がある。
当時はもう、反町公園には遊園地のような乗り物は無かったが、「昔は乗り物が有って楽しかったよ!」という話を聞いた覚えがある。ぜひとも、乗り物が有って賑わっていた時の様子を調べてみたい。
現在の反町公園の様子
空間が想像力を描きたてる!
「公園の案内板」敷地面積は23,000㎡と広大である
現在の反町公園は、スケートリンクがある以外にはこれと言った特徴が無く、「散歩をするのに適した場所」という雰囲気の空間だ。「遊園地のような乗り物たちは、どの辺にあったのだろう?」などと想像を巡らせながら歩くのも楽しい。
公園の端に有る砂場と遊具のスペース
子供を遊ばせているお母さんたちに、「昔、遊園地のような乗り物が有ったこと」について聞いてみたが知らないようで、「へぇ~!そうなんだぁ!!」と、一様に驚いていた。
「公園は楽しい」と話してくれた、室井夏子ちゃん(左)と、中 彩乃ちゃん(右)
では、年配の方なら知っているのではと思い、ベンチで読書中だった60代半ばのAさんに聞いてみた所、乗り物に乗った事は無いそうだが当時の様子をご存じとのこと。「賑やかだったよ!」と懐かしそうに話してくれた。
現在のスケートリンクは体育館だったそうで、大相撲の巡業も行われていたようだ。
現在のスケートリンク
横から見たスケートリンク
スケートリンクの外壁の絵は、横浜開港150周年の記念に地域の小学生によって描かれたもの。
反町公園から見た神奈川区役所
公園のすぐ横には、神奈川区役所がある。
そこで、区役所の「区画推進課・企画調整係」に公園の昔の様子について聞いてみた所、担当してくれた白井さんが、「横浜市史資料室」に資料が残っていると教えてくれた。
「横浜市史資料室」は、「はまれぽ」の取材で度々お世話になっている所だ。
焼け野原からの復興
1945(昭和20)年5月29日の横浜大空襲により、反町一帯は広大な焼け野原となった。
現在の反町公園の場所には、終戦直後、進駐軍の蒲鉾型兵舎などが置かれていたが、1949(昭和24)年に「日本貿易博覧会」が催され、その後、博覧会の建物の一部を利用した総合庁舎があった。
その庁舎も数年して移転となり、1963(昭和38)年3月28日に反町公園が開園した。
開園当日の「神奈川新聞」にも記事として掲載された
当時は、野毛山遊園地に続いて二番目の遊園地にしていくことが目論まれていたようだ。
当時の横浜の観光見取り図
1960年代半ばの横濱観光見取り図には、反町公園の所に、ロケットコースターと噴水が描かれている。