本牧ふ頭の異国情緒あふれる「USSシーメンスクラブ」ってどんなところ?
ココがキニナル!
本牧ふ頭交番の近く「USSシーメンスクラブ」というバーのようなレストランのような外国人船乗り向けっぽい店がキニナル!(sakuraさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「シーメンスクラブ」は一般客も利用可能な船員向け福祉施設。震災の影響を受け飲食サービスは縮小しているが長旅をする船員を支え続ける存在だった!
ライター:はまれぽ編集部
船員を支えてきたシーメンスクラブの歴史
ここで、本日の取材の旨を伝えると、「社団法人 ユナイテッドシーメンスサービス」日本代表の吉野太郎さんにお話を聞かせていただけることになった。
普段はメガネをかけているという吉野さん
まず、「シーメンスクラブ」は一体どんなところなのかお話を伺った。
「社団法人ユナイテッドシーメンスサービス(UNITED SEAMEN’S SERVICE)」はアメリカのニューヨークに本部があり、1942(昭和17)年に当時の大統領フランクリン・ルーズベルトの妻エレノア・ルーズベルト氏の発案によって設立された船員向け福祉施設。世界7ヶ所に拠点を置き、日本では横浜と沖縄に設置されている。正式名称は「ユナイテッドシーメンスサービス」で、「シーメンスクラブ」は通称なのだそう。
当初は中区本町に拠点があったのだが、弁天通、山下町と移転を繰り返し、1974(昭和49)年に現在の場所に落ち着くこととなった。
現在の店のオープンを祝してテープカットをする当時の横浜市長、飛鳥田一雄氏
1980年年代から1990年半ばまでは、船員と日本人が交流し盛り上がることも
各国の船員同志が疲れを癒しつつ酒を飲みながら交流したり、同店主催のスポーツ大会をしたり、盛り上がっていた同店。当時のスタッフは「給料がいらないほどチップがもらえた」そうだが、1990年代に円高が進んだことにより、船員たちの動向が変わる。だんだん「ビールを1杯だけ飲んでからリーズナブルな店を探しに中華街などに出歩くようになってしまった」のだそう。
バーとレストランについてお話を伺おうとすると「今はメニューを減らし、営業を縮小しようとしているところです」とのこと。
2011(平成23)年3月11日の東日本大震災以降、福島の原子力発電所の事故による放射能被害を恐れ、日本に来るアメリカ、イギリス、北欧の船員の数が激減。もともとアメリカ人向けのメニューや雰囲気作りをしていたこともあり、飲食サービス全体を見直し、バーテンダーも退職した。現在レストランでは元「リキシャールーム」のシェフが週に数回訪れ仕込みをしてもらい、料理を提供しているとのこと。
外国人からも人気だったバーテンダー・ジミーさん(写真左から2番目)
1980(昭和55)年ごろのリキシャールーム
リキシャ―ルームで人気だった「四角いピザ」は丸い形で提供している
「それでも今もシーメンスさんのあの料理が食べたい、と国内外問わずリクエストしてくれるお客さんもいますので、飲食サービスをなくすことはできない」とのこと。