人見知りをしない気さくな人たちに出会える街、はま旅Vol.116「神奈川新町」編
ココがキニナル!
横浜市内全駅全下車の「はま旅」第116回は、京急沿線最後のはま旅となる「神奈川新町駅」。人見知りをしない気さくな人たちに出会える街だった。
ライター:桐生 由美子
あの風景の続きがキニナル
入江川にかかる新浦島橋の中ほどまで歩くと、あの風景が見えてきた。川に向かって舟屋のような家が建ち並ぶ、水上家屋地帯だ。
新浦島橋を途中まで渡りふり返ると・・・
はま旅子安で見た風景と同じ水上家屋と漁船!
橋の反対側には沈没船が・・・ちょっとせつない
橋の左右を見比べると、川沿いに建つ家の雰囲気がガラリと違っている
橋の脇には「わが町 かながわ50選」の看板が
橋の脇の看板には「わが町 かながわ50選」とあり、神奈川区への愛着を深めるために、魅力ある場所を50ヶ所選定したと書かれている。ここ「子安浜と漁船」は昔ながらの漁村の風情と、首都高をはさんで建ち並ぶオフィスビルが共存する風景として選定されたようだ。
橋の上からしばらくその風景を眺めていると、漁船で作業をしている男性がひとり。橋を戻って声をかけてみると、今も東京湾でアナゴ獲りをしている現役の漁師さんであることが判明! あわよくば漁に出る漁船に同乗させてもらえないか? と、はまれぽ根性が顔を出したが、「今日はもう漁は終わっちゃったよ」とのこと。残念。
「昔に比べたらここから漁船を出して漁をしている人は少ないな」とお父さん
常連客と意気投合!
喉が渇いてきた。国道15号に戻り喫茶店かカフェを探すが・・・、なかなか見当たらない。ラーメン店はそこらじゅうにあるのだが・・・、とキョロキョロしながら歩いていると、「TEA ROOM 淳行」と書かれた看板が見えてきた。
「淳行」は有名ラーメン店の隣
ドアを開けて取材依頼をすると、「どうぞ!」とカウンターの中からママが手招いてくれた。
1983(昭和58)年に開業した昔ながらの喫茶店。「淳行(じゅんこう)」という店名は、ママの名前「淳子」からつけたそう。
常連さんから「淳ちゃん」と慕われるママはなんと62歳! おキレイ!
「常連さんに支えられて、今年で30年になるのよ」とママ。そんなママに毎日のように会いに来る常連さんも多く、ここで待ち合わせをして何時間もしゃべって帰って行くのだという。
「今日もこれからいつものメンバーがくるわよ。時間あるならゆっくりしていったら?」とママの嬉しいお誘い。ちょうど休憩もしたかったし、しばらく待ってみることにした。
アイスオレ(500円)を飲みつつ一服・・・
コーヒーをいれるママとマンガを読む常連さん
ママとおしゃべりをしていると、常連さんがもう1人、また1人と集まってきた。みなさん気さくな人ばかりで、気がつけばテーブル席にみんなで移動。
最初に集まったのは、まーちゃん62歳(左)とひろっぴー72歳。ふたりともお若い!
しばらくすると、みんなのマドンナまりやちゃん(右)も到着
みなさんのお住まいを聞くと、「川崎」(ひろっぴー)、「藤棚」(まーちゃん)、「小机」(まりやちゃん)。てっきりご近所に住んでいるものと思ったら、みなさんわざわざ電車を乗り継いで来ていた!
しばらく世間話に花を咲かせていると、実はまーちゃんとひろっぴーは何度か病気で倒れたことがあるという話に。おふたりともあまりに元気で、言われなければ気付かない。
「俺はね、42歳のときに脳梗塞で倒れて、その後も3回やったよ」とまーちゃんが言えば、「俺は肺の病気を何度かやったんだ。この間の3月には脳梗塞で手術をしてね・・・」とひろっぴー。まだリハビリ中というひろっぴーがトマトを食べようとすると、「刺さないでつかむんだよ!」と、まりやちゃんが笑いながらツッコミを入れる。かれこれ10数年「淳行」に通い続け、気付けば誰よりも気の置けない仲間になったというみなさん。ここで過ごす時間が、彼らにとってはいいリハビリになるのだろう。
取材で立ち寄ったはずが、気が付けば2時間。初対面とは思えない楽しい時間を共有できた人たち。きっとこれが「奇跡の出会い」だったのだ。