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「みなとみらい」らしからぬ?すずかけ通りのそば屋とピンク色マンションの謎に迫る!

ココがキニナル!

周りに比べ建物が小規模な、すずかけ通りのそば屋さんやマンションの一画がキニナル。みなとみらい地区は街づくり協定で用途や敷地規模が定められていますが、ここは例外なのでしょうか?(ssさん、幸人さん)

はまれぽ調査結果!

みなとみらい地区の開発が始まる前から所有している地権者のもので、もともと開発計画には入っていないため、例外で「らしからぬ」一画になっていた。

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ライター:橘 アリー

この一画は例外なのだろうか?

 
まずは、キニナル投稿にある、みなとみらい地区の「街づくり協定」について調べてみた。
 


みなとみらい地区の案内板


みなとみらい地区の「街づくり協定」とは、横浜みなとみらい21の前身である「株式会社みなとみらい二十一」と基盤整備事業が先行していた区域の地権者との間で1988(昭和63)年7月1日に締結されたもので、調和のとれた街づくりのための協定のこと。正式名称は「みなとみらい21街づくり基本協定」となる。


株式会社みなとみらい二十一は、1984(昭和59)年7月に、みなとみらい21地区における業務機能、商業機能、文化機能等都心機能の集積やその適正な配置を図ることを目的として設立。その後2009(平成21)年2月に、新たに設立された「一般社団法人横浜みなとみらい21」がその業務を受け継ぎ、現在に至っている。
 


「一般社団法人横浜みなとみらい21」が発行している小冊子


「みなとみらい21街づくり基本協定」の内容は、ホームページ上で確認できる。

協定によると、建物の用途は「第6条 建物用途」に、最小敷地規模は「第7条 建築物等の基準に最小敷地規模」に定められている。

用途については、そば屋さんもマンションも「商業施設」「都心住宅」という点では規定内のようだ。
しかし、最小敷地面積については、規定が2500平方メートル以上となっている。

ちなみに、2500平方メートルは坪数にすると約757.5坪で、畳の枚数で表すと約378枚分である。
実際、そば屋さんは25坪ほどとのこと。マンションも、一見しただけで明らかに、最小敷地面積に達していないように見えるので例外ということになる。

では、なぜそこだけ例外になっているのか、「一般社団法人横浜みなとみらい21」に問い合わせてみた。
 


一般社団法人横浜みなとみらい21のウェブサイトより


企画調整部の担当者にお話しを伺った。

担当者によると、そば屋さんとマンションの敷地は、この土地が造成される以前から所有している地権者のもので、「みなとみらい21街づくり基本協定」に基づいた大規模開発計画には入っていないので例外扱いになっている、とのことだった。

例外になっている理由が分かったところで、さらに詳しい話を現地で聞いてみることに。



もともと民家は4軒しかなかった!?



マンションは賃貸物件になっていて、人気のある地域なので、現在、空き物件は無いようである。所有者はそこにはいなかったが、そば屋さんを営む森川京男(けいなん)さんにお話しを伺うことができた。
 


店名は香露庵(こうろあん)
 

店内は明るく落ち着いた雰囲気


―この建物は建ってからどれくらいになりますか?
「十数年になります」。

―この地域が開発される前からこの土地を所有されていたと聞きましたが?
「はい。この周辺に三菱重工業の造船所があった当時から、この場所に住んでいました。
今から30年以上前になりますね。当時の地名は『みなとみらい』ではなくて『高島町』でした」。
 


三菱重工業横浜造船所横浜工場(西区)1981(昭和56)年10月当時の様子
(出典:横浜市史資料室 広報課写真資料)


―そのころからそば屋さんを営んでいたのですか?
「当時は『大衆苑』(たいしゅうえん)」という名前の大衆食堂をしていました。
当時は造船業がさかんで、近くの高島埠頭から伊豆大島へ行く船もあったので、この辺りは本当ににぎわっていました」

―ではなぜ、現在はそば屋さんをされておられるのでしょうか?
「この地域で、造船所を移転して周辺の土地が造成されることが決まり、その間、立ち退くことになったので、店をたたんで飲食関係とは別の勤め人になり、家内は平沼にある『田中屋』さんというそば屋さんで働くようになりました」。

「そして、造成が終わり戻れるようになったので、また店を始めようという話になったのですが、家内がそばの知識や技術を得ていましたし、『田中屋』さんの勧めもあったので、そば屋を始めることになりました。今から10年くらい前のことです」。

この造船所は、1982(昭和57)年12月10日に閉鎖され、その後、土地の造成が始まった。
 


メニューも豊富


―造成が終わって戻ってきたのは、こちらとマンションの2軒だけですか?
「はい。この近辺には、もともと4軒の民家がありましたが、開発が終わって戻れるようになった後、お隣は賃貸マンションを建て、ほかの2軒は土地を売却したようです」。
 


埋め立てが進むみなとみらい21地区1985(昭和60)年11月3日撮影
(出典:横浜市史資料室 広報課写真資料)


―周囲との大きさの違いなどで、何か困ったことはありますか?
特に困ったことはないですね。とても良い環境です。
花火大会の時などは人が多くて大変なこともありますが、それでも、この地域が多くの人でにぎわうのは本当に嬉しいことです。



取材を終えて



今回の取材で、みなとみらい地区は、埋め立てと造成で造られた新しい街だが、そんな中にも古くからの住人が居ると分かった。
発展を続けて行く「みなとみらい」の隠れた歴史を探してみるのも良いものだ。


―終わり―
 

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  • みなさんと同様にずーっと気になっていた建物だったので、謎が解けてスッキリしました。はまれぽさんありがとうございます。

  • ずっと気になってたので、取り上げて頂いてありがとうございます!みなとみらい地区は都市計画道路みたいに全て立ち退きになっているのかと思ってましたが、元々住んでいた方は土地の所有がそのままだったのですね。以前は目立ってましたが、周りの開発が進んでだいぶ紛れてきた感じもします。

  • そう言えば青葉区にピンクマンションが出来るので新聞沙汰になったことがあったなぁ・・・今、車で通るとあまり違和感がないけれど、周りの住民は高級感のある場所を壊したくなかったのかもしれない。

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