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惜しまれながら閉店した、本牧「リキシャルーム」の今昔を教えて!

ココがキニナル!

大人の社交場として本牧にあったリキシャルーム。今は閉店してしまいましたが、横浜の古き良き時代の象徴だったと思います。今昔(閉店まで)を調べてくれませんか?(ちびろさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

四角いピザが名物の「リキシャルーム」は1961年にオープン。アメリカンな雰囲気で著名人も通う店に! 長年愛されつつも2009年にその歴史の幕を閉じた。

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ライター:大和田 敏子

ハリーさんの妻と娘たち



ここまで周辺取材から、リキシャルームの雰囲気を探ってきたのだが、実はその後、リキシャルームの経営者、ハリー・コルベット氏の奥様で、ご主人が亡くなった後も店を守ってこられた飯田かよ子さんと長女メリー(Mary Corbett)さん、次女エヴリン(Evelyn Corbett)さんにお話を伺うことができた。
 


左からメリーさん、かよ子さん、エヴリンさん


リキシャルームの雰囲気をかよ子さんは、こう語る。

「窓のない本当に暗い店で、よくそのこと(が風俗営業適正化法の照明照度基準に抵触する可能性があるということ)で、私が警察に呼ばれて注意を受けました。それでも雰囲気を守りたい主人は店を明るくしようとはせず、警察の人が来ると明るくして、その後また元に戻すという繰り返しでしたね。暗くてメニューが読めないので、懐中電灯を持ってお客様の傍で照らして見えるようにするようなこともありました。カウンターのブルーのライトは主人の好きな色で、外のネオンも同じブルーでした」

もともと24時間営業だったが、その後、夕方5時から朝8時まで営業する店になった。オープン当時は1ドル360円の時代、お客さんはほとんど米兵だった。しばらくすると、外国人と一緒に日本人が来るようになったが、日本人が一人で入れるような雰囲気の店ではなかったという。しかし、晩年は日本人客が、そのほとんどだったそうだ。
 


お店のことを楽しそうに語ってくださった飯田かよ子さん
 

お父様から伝え聞いたことを熱心に話してくださったエヴリンさん


リキシャルームを語る上で欠かせない看板メニューの「四角いピザ」については、エヴリンさんが「丸くしようと思っても、どうすれば良いのかわからなかったし、そのころの業者では丸い型を造れなかったためだと、父から聞いている」と秘話を教えてくれた。
ピザ以外には、バーベキュースペアリブや、タルタルソースが添えられたエビやホタテのフライなども人気だったという。
 


リキシャルームの名物「四角いピザ」(写真提供:浜田信郎)


「当時、(米軍基地を)“フェンスの向こうのアメリカ”と言っていましたが、リキシャはフェンスの外にありながら、小さなアメリカという雰囲気があり、それがめずらしく、みんな集まってきていたのでしょう」とエヴリンさん。
 


当時の写真をたくさんお持ちいただき、お話してくださった


妖しげでアメリカンな雰囲気や名物の四角いピザは多くの著名人も惹きつけた。美空ひばりさんや黒沢年雄さん、平山みきさん、朝丘雪路さんら芸能人や王貞治さんのようなスポーツ関係者も多くも来ていた。石原裕次郎さんなどは5、6人で来て、楽しく飲んで騒いでいたという。ジェーン・フォンダなど海外の大物俳優が訪れたこともあるそうだ。

1982(昭和57)年、米軍の接収が解除され、街はしだいに移り変っていくが、多くの客が店の雰囲気を愛し続け、ハリーさんが亡くなった後は、妻の飯田かよ子さんが店を守り続けた。

「ベトナム戦争のころの本牧はにぎわっていましたが、戦争が終わり、オイルショックや基地がなくなったことで外国人が離れていった。また、70年代に市電が廃止(本牧は70年に廃止)され、交通の便が悪くなったこともあって、本牧から人は離れていきました」とメリーさんが話してくれた。
その中でも、独自の雰囲気を貫いてきたリキシャルームは残っていき、80年代、バブル経済のころも多くの客が訪れていたという。
 


本牧の街の変化などもお話してくださったメリーさん