湘南モノレール大船駅の広場にある謎の塔の正体は?
ココがキニナル!
湘南モノレール大船駅横の広場にある塔です。特に何の役にも立っていませんが、何か意図する所があるのでしょうか?キニなります。(うがろんばさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「大船」にちなんで船をイメージしたモニュメントである。避雷針のようにも見えるが純然たるモニュメントである。
ライター:永田 ミナミ
現場で聞き込み
ノーネーム、ノーメロディなので、今度は広場にいる方に謎の塔について知っている人がいるかどうか、聞いてみることにした。
「時計塔のメロディについて」の前あたりでお弁当を食べているお年寄りのご夫婦に声をかけると「ここには初めて来たから」ということだったが、「何かしらね、いろいろ飾りがついた避雷針みたいだけど」という見解を話してくださった。
なるほど、避雷針と言われるとそう見えなくはない。デザイナーズ避雷針説の登場である。
続いて、広場を清掃している男性がいたので謎の塔について聞いてみた。
5年前から鎌倉駅や大船駅の清掃をしている男性
男性も塔の正体についてはご存知なかったが、やはり避雷針説を唱えた。ネットは「鳩よけなのではないか」とも。それ以外にも、塔ができたのは「10年よりももっと前」で、「ルミネウイングができたころからあるんじゃないかな」という情報も教えてくださった。
謎の塔の謎を直接解き明かしてくれるものは見つからず、直接知っている人にも出会えない。東口広場はモノレールのすぐ横で、バス乗り場のすぐ上にあるが、ルミネウイング前に設けられた広場感がいちばん強い。ルミネウイングはJRと京浜急行の共同出資なので、広場はどちらが管理しているのかわからないが、まず大船駅を走っているJRにきいてみることに。
駅でたずねると、駅事務室の方が対応してくださった。しかし、謎の塔についての質問には「そんな塔、あったかな・・・」と首をひねる。そこで撮影した写真を見せると「ああ。これはたしか、避雷針だったんじゃないかな」という答えが。またもや避雷針説である。
このときは、これはもう、デザイナーズ避雷針で間違いないのではないかと思いはじめていた。
鎌倉市にきいてみる
JRの方は「ただ、正確な情報かどうかわからないですよ」と言い、「あそこは、たしか市が管理しているはずなので、市に聞いていてみるといいかもしれません」ということも教えてくださった。
そうなのだ。現場での聞き込みのあとは、鎌倉市に聞いてみようと思っていたのである。
なぜなら広場の植込みには「鎌倉市」と書かれたコーンがあったり
街灯にはよく見ると「鎌倉市街路照明燈」と書いてあったりするからだ
そこで広場に座って鎌倉市役所に問い合わせてみると、都市整備部道水路管理課が対応してくれるということになった。しかし、担当の方に謎の塔について説明すると「実物を見てみないと何とも言えないですね」とよく知らない様子。「避雷針のような塔です」と言ったら反応があるのではと期待したが、言葉は波間に消えていった。
そこで、実物の写真を送ることを伝え、その上で回答をいただくことになった。
謎の塔よ永遠に
そして後日、鎌倉市役所から回答があった。
役所に長くいる人がわずかに知っているくらいだったという謎の塔の正体は、「大船」の駅名にちなんで船のマストをイメージしたモニュメントとして、ルミネウイング開業1992(平成4)年9月にあわせてつくったものだということだった。
マストが立つ広場は言ってみれば「大きな船」のデッキということか
広く支持を集めていた「デザイナーズ避雷針」説に思わぬ向かい風が吹きはじめた。
「避雷針をつくるときにマストのデザインを取り入れたというようなことは?」ときいてみると「そういうことはありません」という。「まわりに放射状に張られたネットは、鳩よけを兼ねているというようなことは?」と聞いてみると「いいえ、純粋なモニュメントですね」ということだった。
「デザイナーズ避雷針」説は、嵐を待たずにあっけなく海の藻屑と消えた。それもそうだ、よく考えればすぐそばのルミネのほうが遥かに高いし、モノレールの駅舎だって高さはそれほど変わらない。
そこで今度は、モニュメントの制作者、作品名についてきいてみたが「わからない」という。ともかく資料があっちこっちに散在している、またビル全体として計画されたものなので、モニュメントのことだけピンポイントで書かれたものを見つけるのは非常に難しい、という回答だった。
ただし、時計塔についての質問には「時計塔はバスターミナルにある時計が時計塔」だという回答を得ることができた。また、メロディについては、以前は流れていたが現在は流していないという。いつメロディを流すのをやめたのか? という質問には「ちょっとわからないですね」ということだった。
南南西に進路を取れ
わからないなら、探すしかない。ということで横浜から南南西に進路を取り、雨の鎌倉駅に降り立った。
いつ来てもどんな天気でも素敵な街、それが鎌倉
そして西口を出て徒歩10分ほどで中央図書館に到着
郷土資料のコーナーで大船駅の広場について探してみると『大船駅周辺のまちづくり(パンフレット他)』(大船駅周辺地区整備協議会 1996)という資料が見つかった。
ファイルにまとめられていたのは「大船駅周辺地区 都市づくり基本構想」「わがまち大船を考える」といったパンフレットや開発計画について触れた神奈川、朝日、読売、毎日などの新聞記事のコピーであり、東口一帯の再開発についての素晴らしいプランと未来への展望(横浜ドリームランドへのモノレールの再開も含まれていた)、苦難に満ちた再開発の経緯、そして再開発はまだ途上にあることなどがまとめられていた。
この苦難に満ちた開発の経緯については『水の出る街、大船 水害の歴史と再開発問題 ーある自転車職人の自伝ー』(佐々木泰三著 かまくら三窓社 1999)にとても詳しい。
1964(昭和39)年に駅前整備問題が浮上し、1972(昭和47)年の第5次計画でようやくまとまりかけるも1974(昭和49)年秋に計画が一度撤廃されてしまう。その後、1976(昭和51)年から計画の見直しが始まり、1986(昭和61)年に74年計画の変更手続きが完了し、1983(昭和62)年に着工するまでの苦難に満ちた道のりが記されていた。
1992(平成4)年にできたということで、バブルの勢いモニュメントなのではないかとも思っていたが、そんなうわついたものではなかったようだ。