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開港前の横浜、旧海岸線を探し歩く旅! 西区~中区編

ココがキニナル!

横浜港が埋め立てられる以前の、旧海岸線を探す旅をお願いします。金沢、磯子、中、西、神奈川、鶴見の各区の何か海岸線の名残の様な物を見つけて欲しいです。(タッカーさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

西区~中区の旧海岸線を踏破。過去の横浜駅西口の姿を知り、波止場の名残りや防波堤の一部を見つけて、海を失った土地の記憶を巡った。

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ライター:細野 誠治

中区・前編 礎になった波止場と、拓かれた運河


 
いよいよ中区に突入。
 


道なりに進んで大岡川を越える
 

北仲橋を越えたら北仲通北第一公園に突入
 

あまり変わっていない(クリックして拡大
 

公園の海ぎわ(水際線プロムナード)を進む。
 


ここで発見。この場所は「灯台発祥の地」だった
 

1874(明治7)年に設置、とある。141年前、この場所で海の安全のため灯台が建てられた。
灯台はすでに無く、海も遠くなった。あるのは掲示板のみ。少し寂しい。もっと、みんなに知ってほしいと思う。
 


公園の石積みも歴史を感じる。海面の下には恐らく、当時のものが残るはず
 

プロムナードを行くと万国橋にぶつかる。右折をして合流するのが文字通りの「海岸通」。海を左に見る。GPSを見ると海岸通から東に約70メートル先が旧海岸線。
 


横浜郵船ビルや横浜税関、神奈川県警察本部もギリギリ陸地
 

システムを確認。キニナルものがある。
 


碇のマーク! 2つの防波堤に護られた船着場を発見(クリックして拡大
 

まずは左の小さな防波堤。現在の場所は「象の鼻パーク」だ。
 


パーク内にシステムの表示を裏付ける掲示板が
 

掲示板によると名称は「西波止場」。1869(明治2)年に造られ、イギリス波止場とも呼ばれていたという。

陸地から突き出た2本の角状の波止場は、左側が象の鼻パークの護岸の一部になった。
 


現在の、左側部分
 

対する右側は、大桟橋の一部に使われて現在に至っている。
 

 
右側突端に掲示板があった
 

関東大震災によって沈んでしまった石積みが使われているそうだ
 

2015年に見える海の姿
 

波止場についてキニナルことが、もうひとつ。西波止場に対して「東波止場」の存在も語られていた(象の鼻パーク内の掲示板に「山下公園正面」と書かれている)。システムにも、ちゃんと記入があった。
 


ホテル・ニューグランドの正面だ(クリックして拡大
 

しかし現在、過去を忍ばせるものは残されていない
 

少し掘ってみよう。文献をあたってみる。横浜市中央図書館に蔵書されている『ペリー来航~横浜元町一四〇年史(発行所:元町自治運営会)』のなかに、それはあった。
 


手前の建物がホテル。海岸線奥に突き出した波止場と思しきものが写っている
  

写真には「建設中のグランドホテル」とある。ホテル・ニューグランドの開業が1927(昭和2)年なので、それよりも前に撮影されたことになる。

東波止場はフランス人居留地の目の前だったことから「フランス波止場」と呼ばれていた。
海を越えてやってきた人々と荷揚げの熱気があって、この場所は今と変わらずにぎやかだったんだろうな。

先を急ごう。山下公園通りを道なりに本牧方面へ。
システムを見ると、堀川を境にして開発地区が終わっていることが分かる。
 


川を挟んで一段落。砂浜が残されている(クリックして拡大
 

撮影地点が旧海岸線。ドン・キホーテは境界線上に建つ
 

境界は県道と山手の丘の中間地点。もっとも旧海岸線に近いであろう、県道から1本内陸に入った道を選択。
 


写真の右寄りが旧海岸線だ
 

公園で発見。明治初期の新山下の姿
 

堀川に架かる山下橋を渡って1kmほど。場所は、みなと赤十字病院付近。
 


岬(正確には稜線に伴う砂浜)が突き出している(クリックして拡大
 

現在の小港町辺り。このような突端は見られない。
  

 
鴎(かもめ)橋から望む。今は運河との境界は直線
 

運河を切り拓く際、船の往来の妨げとして削られたのだろう。
 


失った海もあれば、消えた土地もまた存在する(クリックして拡大