横須賀市追浜がトンネルだらけなのはなぜ?
ココがキニナル!
横須賀市の「筒井隧道」は車一台しか通れないほど狭いのですが、高さは7mくらいあります。昔、キリンを運ぶために造られたトンネル、といわれない限り理解のできないアスペクト比です(横濱マリーさん)
はまれぽ調査結果!
横須賀市追浜(おっぱま)の筒井(つつい)隧道に「キリンが通るために高くした」記録はない。横須賀市の特徴的な地形が誕生させたトンネル
ライター:やまだ ひさえ
追浜のトンネルの変遷
追浜一帯には、現在、使用されているものだけで16ヶ所のトンネルがある。
追浜にある16ヶ所のトンネル(アクションおっぱまのHPより作成※クリックして拡大)
杉山さんによると、トンネルは時代によって特徴があり、4世代に分けられるという。
第1世代のトンネル(『追浜トンネル物語』より)
「第1世代」は、明治時代前半。横須賀軍港の拡張のために海岸線が買収され、それまで移動や物資の運搬に使っていた渡船が禁止された。生活に欠くことができなかった海上交通が使えなくなったことで険しい山道などを通る必要に迫られ、地元有志によって掘られたのが「梅田隧道」だ。
「第2世代」は明治時代後半。筒井隧道、深浦(ふかうら)隧道、追浜隧道の3トンネルは、交通が不便だった地域住民が切り開いた、谷戸と生活拠点を結ぶトンネル。
第2世代のトンネル(同)
これらは、軍に勤務する人たちの通勤トンネルでもあった。
大正時代から戦前にかけて掘られたトンネルは「第3世代」とされる。浦郷(うらごう)隧道、皆ヶ作(かいがさく)隧道、榎戸(えのきど)隧道、日向(ひなた)隧道、向坂(むかいざか)隧道、平六(へいろく)隧道の6トンネルが、これに当たる。
第3世代のトンネル(同)
追浜は、大正時代末から都市化が進んだ地域であり、追浜駅は、1930(昭和5)年4月1日、「湘南電車」、現在の京浜急行が開通したことときに開業した駅。
それに伴い人口が増加。また、海軍航空技術廠への通勤者も多く、通学路、通勤路として「第3のトンネル」が掘られた。第2世代が海岸線の近くだったのに対し、内陸に掘られたのが特徴だ。
第4世代のトンネル(同)
第4世代のトンネルは、新浦郷隧道、浜見台(はまみだい)隧道、湘南鷹取第一隧道、湘南鷹取第二隧道、浜見台第二隧道、山之脇(やまのわき)隧道の6トンネル。戦後から現在に至るまでに掘られたもので、都市化がさらに進み、交通渋滞緩和のために造られた。
追浜にある16のトンネルのうち10が明治時代から戦前にかけて造られていることから、昔からトンネルの需要が高かったことがうかがえる。