横須賀市追浜がトンネルだらけなのはなぜ?
ココがキニナル!
横須賀市の「筒井隧道」は車一台しか通れないほど狭いのですが、高さは7mくらいあります。昔、キリンを運ぶために造られたトンネル、といわれない限り理解のできないアスペクト比です(横濱マリーさん)
はまれぽ調査結果!
横須賀市追浜(おっぱま)の筒井(つつい)隧道に「キリンが通るために高くした」記録はない。横須賀市の特徴的な地形が誕生させたトンネル
ライター:やまだ ひさえ
追浜トンネル探訪
追浜のトンネルは、自動車用というより生活に必須アイテムとして掘られたものが多い。そのため、住宅街の入り組んだ場所にあるものも多く、杉山さんが案内をしてくれることになった。
目指すは、明治時代の隧道制覇。
住宅街の路地の奥にトンネルがある
まず向かったのは、投稿にあった「筒井隧道」。1905(明治38)年に竣工し、幅が4.1メートル、長さ58メートル、高さ7メートル近くある、のっぽトンネルだ。追浜東町と浦郷町を結んでいるトンネルだが、本当にキリンが通ったのだろうか。
筒井隧道。追浜東町方面から見た姿
人と比べると高いことがより実感できる
浦郷町方面
筒井隧道は、周辺住民と海軍航空技術廠に通勤する人の利便性の向上を図るために掘られたトンネルで、当初は一般的なトンネルと同じような形だった。
昔はこんな感じ(想像図)
筒井トンネルがあるのは、丘の中腹。出入り口は、急な坂になっていて、緩やかな昇りにするため、1933(昭和8)年に改修したという。路面を掘り下げたことで、現在の高さの「のっぽトンネル」となった。
路面が下がったことで、両側の家は階段を作って対応している。
路面が下がったことで民家は階段を設けた
『追浜の歴史遺産 追浜トンネル物語』の出版に際し、杉山さんら共同著者が周辺の歴史や資料をくまなく調べたが、「キリンが通ったという記録はない」とのことだ。
次に案内してもらったのは、追浜で最初に造られた「梅田隧道」。梅田隧道は、1887(明治20)年に竣工した追浜で最初のトンネル。
梅田隧道
梅田隧道は、海岸一帯が海軍用地となったことで、渡船が禁止になり、山越えの不便さを改修するために、地元有志が私財を投じて掘ったトンネル。追浜だけでなく軍用以外では、横須賀市内でも一番古いトンネルだ。
全長204メートル。追浜では一番古く、一番長いトンネルだが、全て手掘りで掘られた。
地元有志によって尽力した(同)
開削にあたっての書類(同)
隧道工事にかかった費用は1552円73銭(現在の約550万円※明治27年の大卒初任給換算)。うち800円(同約280万円)が地元住民の寄付で賄われた、地元民のためのトンネルだ。
1915(大正4)年には記念碑も建てられた
1955(昭和30)年ころの梅田隧道 (同)
今も生活トンネルとして使用されている
今でも追浜一帯では一番長い
1911(明治41)年竣工の深浦隧道も、地元住民が尽力してできたトンネルだ。トンネルの先にある浦郷町には漁村があり、往来は山越えが基本だった。
その不便さを解消するために、独園(どくおん)寺のご住職が掘り始めたのが、このトンネルだ。
お寺の和尚さんが掘り始めたトンネル
最初は、高さ1.8メートル、幅1.2メートルほどで、大八車が通れるくらいの規模だった。しかし、海軍航空技術廠の設立によって拡張。同廠への通勤路となった。
長さは108メートル
戦前、戦中は数万人の軍関係者の通勤路だった
1912(明治45)年、横浜と横須賀を結ぶ車道のトンネルとして造られたのが「追浜隧道」だ。完成した当初は地名をとり鉈切(なたぎり)隧道と呼ばれていたが、1933(昭和8)年、榎戸隧道の完成に合わせ拡幅。追浜隧道と改名した。
旧海軍航空技術廠の横にある
手前のコンクリート製の橋は、水槽実験の跡といわれている
明治時代だけでなく、戦前に掘られたトンネルにも興味深いものが多い。
日向隧道は、1933(昭和8)年に竣工した、海沿いの平地をぬけるトンネル。
全長157メートル
改修前の姿が出入口に残っている
市内で2番目に短いのが、1933(昭和8)年竣工の榎戸隧道。全長46メートルしかない。
海軍航空技術廠に抜ける道にある
場所柄、トンネルの前には防空壕がある
通学路として掘られたのが、1939(昭和14)年竣工の平六隧道だ。
平六隧道の先にある浦郷小学校は、1874(明治7)年創立の市内でも古い小学校。トンネルが出来る前は、山すそを大回りして通学していた。
今も歩行者専用の平六隧道
長さは90メートル。片側を素掘りで、片側をダイナマイトで掘られたトンネルだ。
今も通学路として活用されており、2012(平成24)年、付近のマンション建設に合わせ改修された。
トンネルを抜けると今も浦郷小学校がある
海側から内陸へ、時代に合わせて数を増やしていった追浜のトンネル。それは不便な地形と激動の歴史を生き抜いてきた追浜の人たちを支える大切なものだった。
取材を終えて
今回、取材した明治時代から戦前にかけて造られたトンネルは、大半が入り組んだ住宅街にあった。道案内をしてくださった杉山さんがいなければ、確実に迷っていたと思う。
改めて貴重な体験をさせてくださった杉山さんに感謝したい。
―終わりー
NPO法人アクションおっぱま 「こみゅに亭カフェ」
住所:横須賀市追浜町2-13
電話:046-865-2625
HP:http://www.action-oppama.org/
営業時間:イベント用の貸しスペースも併用しているため、問い合わせを。
気象予想士さん
2016年05月13日 12時12分
私設トンネルもあり、市ですべてを把握していない…とありますが、横須賀市では「トンネルマップ」なるパンフレットも作って「トンネルの街」をアピールしているくらいですから、市でさら詳しく調査していただき、「トンネルマップ」の続編を発行してほしいです。記事の内容は楽しかったです。
横濱マリーさん
2016年05月08日 21時37分
本キニナルの投稿者です。非常に興味をそそられる調査でした。道路を掘り下げたとは、盲点でした。私の推理の「キリンを通すためのトンネル」ではなかったと判明して、ちょっぴり残念です。京急と横須賀線が山中で立体交差している件も投稿させていただきましたが、まだまだトンネルでは「キニナル」ネタが眠っていそうです。
KazzSさん
2016年05月07日 05時25分
神奈川県民としてはタモリ倶楽部より先にやってほしかった企画です。