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中世の名残を求めて、鎌倉街道を踏破-中の道3-(横浜市立本郷台小学校〜)

ココがキニナル!

鎌倉街道、大山街道などの街道を踏破して下さい。(jckさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

舞岡公園の前後は新しい住宅街のなかに消えかけた旧街道だが、日限地蔵尊裏手、下永谷駅西側山中では緑豊かな細道や未舗装区間に大いに興奮

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ライター:永田 ミナミ

舞岡公園で日が暮れる


 


やがて細道を抜けると、心地よく蛇行する旧街道らしい尾根道となった


道の左右に現れるフェンスのなかは宅地開発を待つ土地だろうか


猟銃禁止区域の標識が立っているあたり、割と最近まで深い森だったのだろう


などと言っているとまた立派な橋が見えてきた


この橋も先ほどの橋と同様


現代の切通しである。この橋のあたりに尾根道が通っていたのかな


と思いつつ橋を渡ると舞岡公園へと続く一本道である

 
カメラのISO感度のおかげで写真は明るいが、もうこのころはすでにあたりは暗く、舞岡公園を抜けるとすっかり夜だった。この日は日限地蔵尊のあたりまで歩いたがそれは夜道なので歩きなおすことにした。



舞岡公園を抜けまして



というわけで後日、戸塚駅から江ノ電バスに乗って公園前で降り、宵闇にまぎれて何か見逃してはいないかと舞岡公園手前に戻って見ると、とんでもないものを見逃していたのである。
 


そこには泰然と立つ庚申塔(こうしんとう)が


庚申塔は右側に「これよりぐめうじミち」左側に「これよりかまくらミち」とある

 
この庚申塔はまぎれもなく道標であった。こんなに大事なものを見逃していたなんて戻ってみて本当によかったと胸をなでおろし、青面金剛様に手を合わせると同時にキニナルのは、またしても現れた「弘明寺道」。

これはつまり、これから歩いていく道標の左側にのびる道が弘明寺に至るということを示しているのだが、前回の記事でも書いたように旧鎌倉街道「中の道」は方向的にはJR中山駅方面へと向かうのでまったく異なる。
 


こちらは前回、本郷台駅付近で遭遇した「従是ぐミやうじ道」の道標

 
とはいえ道標に嘘情報を載せるわけもないので、この先のどこかで旧鎌倉街道から道が分かれて弘明寺方面にのびる道があるにちがいない。弘明寺道の謎も解き明かしてみようと思いつつ、道標の背後に立つ解説を読むととても興味深い内容で興奮。
 


かつての道標の写真もある興味深い解説はこちらをどうぞ


道標を見つけて幸先のいい旅路の再開である


今回も登場は反射鏡を利用


さて、舞岡公園内に入るとこんな感じで道がのびているが


尾根道だとすれば旧鎌倉街道はもう少し高いところにあったのではと階段を上り
 


尾根道を歩いているやらせ動画を撮影し

 


先を急ぐ


舞岡公園を抜けるとそこに広がるのは21世紀にできた住宅街


京急ニュータウンである

 
前回の本郷台よりさらに新しいニュータウンのなかを走るバス通りに中世の名残はないが、バス停写真の上の写真を見ると左に分岐する道はしっかりとした下り坂になっている。旧鎌倉街道は尾根道につくりがちというルールに基づけば、やはりこの通りのあたりが旧鎌倉街道だった可能性は高い。
 


と想像は膨らんでも風景はだいたいずっとこんな感じ


やがて港南プラザ前交差点を過ぎ


アブラゼミ3匹が鳴きしきる街路樹を過ぎ


この交差点を左折する


すると落ち着いた住宅街のむこうに日限山(ひぎりやま)小学校が見えてくる


そして日限山小を過ぎて


バス通りに出る手前で、このあたりかなと左折してみると


斜めに曲がる思わせぶりな現代らしからぬ区画に期待が高まり


その先で先ほどの港南プラザ前からのびてくるこの通りを渡った先には


さらなる興奮が待ち構えていたのだった。右手に見える森は日限地蔵尊である

 
この日限地蔵は、昔、永谷村に住んでいた飯島勘次郎という百姓が持病の胃痙攣に悩んでいたところ、通りすがりの旅僧に「伊豆三島の蓮馨寺(れんけいじ)にある日限地蔵尊を信仰すれば治る」と言われ、その通りにしたところ治ったので、分身をもらい受け祀ったのが起源である。

日限地蔵は「日を限って祈願すると成就する」とされる地蔵菩薩のことで、安土桃山時代に会津の若松城の堀で見つかったものを「日限地蔵」として祀ったのち全国に広まったという。
 


参考資料のこちらは京都にある日限地蔵尊、安祥院