神奈川区の菅田道路脇にある「道路碑」、どのような経緯で建てられたの?
ココがキニナル!
神奈川区にある菅田道路に「道路碑」という交差点があり、実際に交差点脇に碑があります。残念ながら風化しており、碑の文字が読めないのですが、どんな経緯でできた碑なのか調べて下さい(ビビンバさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
丘陵地帯で交通が不便だったこの地に2本の幹線道路が完成したのを記念し、昭和25(1950)年、その交差点である現在の場所に碑が建てられた。
ライター:河野 哲弥
まずは、現場の確認から
道路の脇に「道路碑」がある?
何とも安直な名前の碑だが、それだけに、何か核心的なものを含んでいそうな予感がする。碑のある場所は、地図検索などで容易に特定できたので、まずは現場へ向かってみた。
道路碑交差点(神奈川区菅田)の全景
真ん中の三角州のようなところに建つ「道路碑」
最寄り駅はJR横浜線の小机駅となるが、駅からだいぶ離れているので、アプローチにはバスなどを利用した方が便利かもしれない。ちなみに、バス停にも、「道路碑」の名前が使われている。
相鉄バスは、そのまま「道路碑」バス停
横浜市営バスは、「道路碑前」バス停としている
そしてその碑には、投稿にあるように、風化が進んで読みにくくなった文字が並んでいた。その上、旧仮名遣いということもあり、仮に読めたところで、その内容は正確には分かりづらくなっているようだ。
撮った写真に画像処理をしても、この程度
状況は分かった。では次に、この全文を明らかにしてみよう。早速その足で、神奈川区役所へ向かうことにした。
碑の内容が明らかに
対応頂いた同区役所の区政推進課によれば、6年ほど前、「神奈川区民協議会」という団体が同碑の調査を行ったことがあるそうだ。そして碑に記された内容を、調査報告として協議会のサイトで公開しているとのこと。
許可の上、サイト上に公開されている、碑に書かれた文字を抜き出してみたのがコチラ。
「港を北え距る八籵の当菅田村は、幹線道路新設を来年の宿願とせしが、曩小机羽沢線は横浜市失業救済事業と して昭和4年冬起工延長三籵余幅員八米を昭和6年春完成せり。その間小川道之助の尽力多大にして、郷党長に遺徳を仰ぐ。
東西を貫く菅田鴨居線は、市会議員鈴木与市氏の献身的努力の結果、横浜市に於いて生産都市再建事業として、延長四籵余幅員八米を昭和23年7月竣工せり。工費実に壱千萬円平坦且つ距離短縮の二大特色により、神奈川中山間の交通上一新紀元を劃す。多年の要望茲に達成されて、関係市民の善悦限りなく、碑を建て永久の記念となすと云爾。 昭和25年 菅田代表 鈴木登久治」
書かれていることは、なんとなく分かる気もするが、やはり専門家による解説を願いたいところだ。しかし、当時の調査委員はすでに退職なされているとのこと。そこで、現神奈川区民協議会のメンバーでもある、菅田東町自治会会長の伊藤さんという方を紹介してもらうことにした。