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かつて存在した「陸軍登戸研究所」では、「怪力光線」なる兵器が研究されていたそうです。あまり知られていない研究所だと思いますので、ぜひ詳しく調べていただければ嬉しいです。(maniaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果

旧陸軍の秘密戦に関する兵器などの研究開発や製造を行った登戸研究所。今では、資料館として一般公開され、平和教育の場になっている。

ライター:吉澤 由美子 (2012年07月22日)

川崎市多摩区にある明治大学生田キャンパスやその周辺は、第二次世界大戦中、陸軍の登戸研究所があった場所。


明治大学生田キャンパス正門


登戸研究所は、秘密戦すなわち、諜報(スパイ活動)、防諜(スパイ防止)、謀略(破壊・攪乱活動・暗殺)、宣伝(人心誘導)のための兵器や資材を研究・開発するための施設だった。

残された研究所の建物を利用して作られたのが、明治大学生田キャンパスにある「明治大学平和教育登戸研究所資料館」。


資料館前にある解説プレート


内容についてほとんど公表されることがない秘密戦に関する日本唯一の資料館だ。



明治大学平和教育登戸研究所資料館

資料館は広い生田キャンパスの奥にあって、一般に公開されている。そこで、正門の警備員さんに見学である旨を伝えて中に入っていく。

正門近くにあるヒマラヤ杉の林は、研究所本館の正面だった場所。


アスファルトの車寄せが今も残る


農学部があるため、ビニールハウスや畑がある。長閑な雰囲気の中を進むと、資料館が見えてきた。


シンプルなコンクリートの平屋建ての資料館


資料館を案内してくださったのは、明治大学平和教育登戸研究所の椎名真帆さん。


「まだわからないことも多数残されています」と椎名さん


資料館は中に入ると天井が高く、昔の病院や研究所を思わせる。


白壁に黒っぽいドアがレトロモダンな印象


入口の正面はレストスペースで、明治大学と川崎市の歴史が展示されている。


天井には研究所創建当時のランプが今も灯る


左右に伸びる廊下を挟んで、第1~第5までの展示室がある。
展示は、登戸研究所の全体像、研究所で行われた活動、そして敗戦直前から資料館設立までの歴史を紹介する内容だ。


古い机やイスが片隅に飾られていた


秘密戦に関する研究開発や製造を行っていた登戸研究所はいったいどんな組織だったんだろう。



登戸研究所の歴史

1937(昭和12)年、陸軍科学研究所の電波・無線関係の研究開発施設として開設された「陸軍科学研究所登戸実験場」が登戸研究所のはじまり。


登戸になぜ研究所が作られたのかの解説


2年後には毒物・薬物・生物兵器、スパイ用品、偽札・偽造パスポートなどの研究開発と製造も加わった。


財政面の優遇を伝える書類


最盛期の1944年には、敷地11万坪、建物100棟以上、幹部所員250名、主に近隣から動員された一般の雇員・工員などを合わせると総勢1000名にも達する大規模な研究所・秘密兵器生産工場になっていた。


組織体制の図解


研究所は陸軍参謀本部直属で、その存在は最後まで秘密にされ、軍の法規にすら記載されていなかった。

1945年、戦局の悪化に伴って、研究所の主たる機能は分散・疎開し、そこで敗戦を迎える。


疎開先に保存されていたフラスコ



登戸研究所の活動内容は次のページで明らかに!≫
 

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