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栄区上郷地区の開発計画、その後の動きはどうなった?(前編)

ココがキニナル!

栄区上郷にて大規模な都市開発計画があるそうです。自然が豊かな地区であるだけに、住民の反対も強いようです。現状について調査頂けないでしょうか(洩矢諏訪子の兄さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

今年6月に予定されていた東急建設からの事業提案が、間もなく行われる模様。今回の「前編」では、昭和後期からはじまった開発の歴史を振り返る。

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ライター:河野 哲弥

「上郷開発」問題の整理

以前、「『蛍のふるさと』瀬上地区の開発計画ってどうなってるの?」の記事で取り上げたこの問題。改めてポイントを整理すべく横浜市のサイトを調べてみたところ、横浜市道路局内にある、「舞岡上郷線検討委員会」というページを発見した。
 


なぜ、道路局が関わっているのだろう


これら一連の資料によれば、「上郷開発」は、戸塚区から栄区と港南区の区境にかけて伸びる「舞岡上郷線」という道路の開通と、深い関わりがあるようだ。このうち「港南台5丁目」と「神奈中車庫前」の両交差点を結ぶ道路周辺には、昔から残る緑地が多いため、その開発を巡って、関係者間に考え方の違いが生まれている。
 


「港南台5丁目」と「神奈中車庫前」を結ぶ、現在の道路の様子
 

その周辺には、豊かな緑が残っている


道路局の資料によれば、この「舞岡上郷線」は、地元住民の要望によって開発された道路とある。そうなると、「上郷開発から緑地を守る署名の会」のような反対派は、いったい誰の意見を代表しているのだろうか。
また、このような状況の中で本年、東急建設から横浜市へ、開発に関する事前相談書が提出された模様。

そこで今回の「前編」では、これらの資料を追いながら、「上郷開発」の問題点がどこにあるのかを整理してみたいと思う。それらをふまえた上で、「後編」にて、各関係者に取材を試みたい。



「上郷開発」の歴史-その1



まずは、主だった項目を時系列にまとめてみよう。
問題の「舞岡上郷線」の開通について地元からの要望が高まったのは、1974(昭和49)年ごろとある。1978(昭和53)年には、上郷連合自治会・町内会から横浜市に宛てて、「舞岡上郷線の早期実現に関する陳情書」が提出された。
これを受け、1985(昭和60)年ごろから、松里創業株式会社(現在廃業)と東急建設株式会社が、横浜市と事前協議に入った。
 


「動物注意」などの標識も見られる、往復2車線の道路


分からないのはこの先である。
1987(昭和62)年になると、道路局は事前協議の決着を待たずに、「港南台5丁目-神奈中車庫前」間の道路建設に着手してしまう。本来4車線の予定だったが、「仮設」として2車線の工事が行われることになったようだ。
 


同区間の図面 (出典・舞岡上郷線検討委員会)


同委員会の資料によれば、当初高架構造(青色部)で建設されるはずだったものを、盛土構造(赤線部)に変更したようだ。もし、両地点の交通の便を図るだけなら、高速道路のような高架構造でも良かったはずだ。
わざわざ盛土構造に変更したのは、近隣地区からの乗り降りが可能な、陸続きの道路にしたかったという狙いがある。

ということは、開発はこの段階で、既に織り込み済みだったことにはならないだろうか。