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みなとみらいは昔、どんなところだったの?(後編)

ココがキニナル!

みなとみらいって昔はどんなだったんですか?(ハ毛さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

もともとは海だったみなとみらい。さまざまな施設、建物が誕生し、“世界のヨコハマ”の象徴として、未来を目指している

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ライター:松崎 辰彦

ランドマークタワーが完成



みなとみらいは昔、どんなところだったの?(前編)」では1989(平成元)年5月に、中央地区の広範囲における町名および住居表示が「みなとみらい」に決定されたところまでを見てきた。その後もみなとみらいには次々と施設や建物が誕生し、街の顔が整えられていく。

みなとみらいの成立を考察する上で、横浜博覧会の存在を無視することはできない。
横浜博覧会は、当初1989(平成元)年の市政100周年・開港130年を祝うイベントとして海沿いの地域の市民(開港以来の住民)と丘陵部に住む市民(高度経済成長以後に移住してきた住民)の一体感を醸成するための「丘と海の祭り」として企画された、と言われる。
 


横浜博覧会開幕式 1989(平成元)年3月25日
(横浜市史資料室広報課写真資料)


その後、みなとみらい21事業を宣伝するためのイベントという性格が加わり、1986(昭和61)年5月、造成工事中だったみなとみらい21地区を会場とすることが決定した。

会場には既存の土地37ヘクタールと埋立がほぼ完了したばかりの土地45ヘクタールが当てられることになったため、みなとみらい本来の街づくりを2年間中断して、突貫工事で博覧会開催に間に合わせた。
 


横浜博覧会会場となったみなとみらい
(横浜市史資料室広報課写真資料)


こうした努力のすえ、桜木町駅前広場、みなとみらい大通り、動く歩道などが整備された。
臨港パーク・グランモール公園・日本丸メモリアルパークといった場所も整備され、博覧会の会場として使われた。
 


横浜博覧会開幕の日 1989(平成元)年3月25日
(横浜市史資料室広報課写真資料)


みなとみらいは横浜博覧会を起爆剤にして、大きく発展していった。



さまざまな施設などが誕生



横浜博覧会を終えて、みなとみらいにはさまざまな施設などが誕生した。

1989(平成元)年11月横浜美術館がオープンした。当初は横浜博覧会のパビリオンだったが、博覧会終了後に正式に開館した。シンメトリーな外観が特徴で、9万冊を超える美術情報センター、レクチャーホールなどを備えている。ダリ、マグリット、セザンヌ、ピカソなどの画家の作品を所蔵し、写真コレクションも充実している。

運営主体は横浜市芸術文化振興財団・相鉄エージェンシー・三菱地所ビルマネジメント共同事業体で、敷地面積は約1万9800m2
 


横浜美術館 シンメトリーな外観が風格を感じさせる


1991(平成3)年7月にはパシフィコ横浜(横浜国際平和会議場)の会議センターとヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルが竣工した。
 


パシフィコ横浜 正面ゲート
 

展示ホール
 

コンベンション都市横浜の中核施設として建造されたパシフィコ横浜
(横浜市史資料室広報課写真資料)
 

パシフィコ横浜竣工式典。1991(平成3)年7月
(横浜市史資料室広報課写真資料)


そして1993(平成5)年7月には、横浜ランドマークタワーがオープンした。敷地面積約3万8000m2高さ296m。オフィスや商業施設などからなるビルである。
 


横浜ランドマークタワー


ランドマークタワーの完成は、まさにみなとみらいの真の誕生を告げるものであった。