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横浜を代表する遊園地のコスモワールドの昔と今を教えて!

ココがキニナル!

コスモクロックが、ランドマークタワーの近くから現在の場所に移動した経緯は?/1ヶ月の電気代は?黒字?(コビン・ケスナーさん/ しゃびっちさん/北斗の件さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

1997(平成9)年横浜ベイホテル東急が建設、景観を考えて移設されたコスモクロック21が1番人気のアトラクション。電気代は不明だが経営は好調のようだ

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ライター:三浜 詩央

高層ビルが立ち並ぶなかに広がる都市型遊園地


 
白い柵の向こう側にはカラフルなアトラクションが見え、ジェットコースターの走行音や黄色い声が風に乗って聞こえてくる。JR桜木町駅から徒歩10分、みなとみらい線みなとみらい駅から徒歩2分という好立地にコスモワールドはある。
 


ほのかに潮の匂いがただよう、入園ゲート前
 

1990(平成2)年に開園し、1999(平成11)年にリニューアルオープンして現在の姿となったコスモワールド。2つの島に分かれたような一見変わった敷地だが、その背景にはみなとみらい地区の開発とともに姿を変えていった都市型遊園地ならではの歴史があった。
 


園内の様子。柵の外側すぐに高い建物が見える

 


コスモワールドの前身は、横浜博覧会のパビリオン


 
好景気に包まれた80年代、日本各地で地方博ブームが巻き起こった。1989(平成元)年に開催された横浜博覧会(YES’89)もそのひとつだ。この横浜博覧会に泉陽興業株式会社がパビリオンとしてコスモクロック21を出展し、「世界最大の時計機能付き大観覧車」として話題を呼んだ。
 


協賛は大塚製薬で、当時の新商品「ポカリスエット」の広告が設置されていた

 
そのあまりの人気ぶりに、博覧会終了後ほかのパビリオンが撤退するなか、コスモクロック21は周辺のアトラクションとともに存続された。これがコスモワールドの前身となる。

ここで、コスモクロック21・コスモワールドの運営会社である泉陽興業株式会社東京支社に取材を申し込み、お話を伺うことに。
博覧会時からコスモクロック21のパビリオンに携わっていた、村田さんは当時の様子をこう振り返る。
 


今回お話を伺った、東京支社の福田さん(左)と村田さん

 
「博覧会は毎日9時30分に開園でしたが、門が開くと同時にたくさんの人がコスモクロック21に向かって走ってくるんです。16時にはチケットが売り切れてしまい、長い時では5時間待ちという日も。また、現在は一台にひと組ずつの乗車が可能ですが、定員の8名まで相乗りで案内。スタッフは40人ほどでシフトを組み、運営していました」

横浜博覧会の目玉と言ってもいいような人気ぶりだったようだ。
 


横浜博覧会終了後のコスモクロック21(画像提供:泉陽興業株式会社)

 
博覧会終了後、コスモクロック21は当時協賛していた大塚製薬の広告を外した形で残った。その後1990(平成2)年に横浜美術館付近で開催されたバルセロナ博覧会の際に、もう一度コスモクロック21を稼働させて欲しいという要請を主催者側から受ける。
1990(平成2)年4月から3ヶ月間開催されたバルセロナ博覧会ののち、8月11日に周辺のアトラクションを増やし、コスモクロック21も運転を再開する形でコスモワールドは開園した。