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横浜と川崎の境はなぜ鶴見川じゃないの?

ココがキニナル!

横浜市と川崎市の市境がなぜ鶴見川ではないのかが気になっています。川を市や県の境界とすることは多いと思うのですが、この二つの市の境は特別な理由があるのでしょうか?(さとうあにさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

市境は町村の編入によって決められたため、鶴見川より北側(東側)にあった町村の境界や矢上川が市境になっている

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ライター:一藁 雅之

「境」の決め方って?

例えば国境は、山や海、川などの自然環境によって定められる自然的国境と、条約や民族同士の協議よって定められる人為的国境の2つに分けられる。

自然的国境の代表例は、アルゼンチンとチリ(山)、イギリスとフランス(海)、ドイツとフランス(川)など。人為的国境は、アメリカとカナダ(北緯49度の緯線)などが代表的だ。

県境や市境も同じように、自然環境で分けることが多いようだ。

しかし、横浜市と川崎市の市境を見てみると、東から、鶴見川の東側(尻手・矢向・平安町など)の境~鶴見川の一部~矢上川・・・となっていることがわかる。
 


市境と川の位置関係はこの通り(青:鶴見川、黒破線:市境/Googleマップより)
<クリックして拡大>


横浜市と川崎市の間には「鶴見川」という、うってつけの自然環境があるものの、市の境はここではない。投稿者さんはじめ、横浜&川崎市民がふと疑問を抱くのもムリはないだろう。
 


かつては「暴れ川」として知られていた一級河川の鶴見川




鶴見川をまたいでいる、2つのエリアの歴史

このキニナルを解明するため、横浜市市民局の窓口サービス課に話を伺ってきた。
 


今回の取材に対応してくださった、担当係長の中込さん


「結論から申し上げますと、市の境は市町村の統廃合によって決まりました」

なるほど。つまり横浜と川崎の境は鶴見川ではなく、人為的な基準で定まっていったようだ。
ポイントは、鶴見川下流の2つのエリアだ。

1つめは、横浜と川崎の沿岸部側の境である「鶴見エリア」。
 


鶴見区の変遷(鶴見区ホームページより)
<クリックして拡大>


上図の、「大正14年」の統廃合の欄を見ていただきたい。

ここで、「明治22年」以前には鶴見川の南側にあった3つの村(生麦村、鶴見村、東寺尾村)と、北側にあった6つの地区(潮田村、菅沢村、市場村、矢向村、江ヶ崎村、小野新田)が、2度の編入(町田村→潮田町への改名を含む)を経て「鶴見町」としてひとつにまとめられている。

なお、この頃はまだ横浜「市」としては成立していないので、「神奈川県橘樹郡」となっている。この時点で、鶴見町という「川を挟んで南北にまたがる一つの町」ができたということになる。
 


鶴見町エリアの推定位置図
(青枠文字は後の潮田町、緑枠文字は後の鶴見町、灰色の下地は現在の鶴見区)


このとき、江戸時代より川崎分だった潮田や菅沢、市場、矢向、江ヶ崎(後の潮田町)がなぜ鶴見町になったのかはわかっていないようだ。鶴見区のホームページには「本来なら川崎市になっても何ら不思議でない地域であった」と触れられている。