「ザ!鉄腕!DASH!!」に出演している海洋環境専門家・木村尚さんのハマの海への想いに迫る!
ココがキニナル!
「THE!鉄腕!ダッシュ!!」のDASH海岸にレギュラー出演されている「NPO海辺つくり研究会」の木村尚さんを取材して頂きたいです。活動内容はもちろん、横浜出身の方なのでハマの海への想いを聞きたいです
はまれぽ調査結果!
「東京湾をきれいにしたい」との想いから海洋環境専門家の道に進み、各地で海つくりの活動を開始。海辺遊びのポイントは「まずは海と触れ合うこと」
ライター:松宮 史佳
1995(平成7)年に深夜枠でスタートした日本テレビの超人気番組「ザ!鉄腕!DASH!!」。現在は毎週日曜日の夜7時に放映されている。
同番組のワンコーナー、横浜市が所有する東京湾内の工業地帯にある入り江を借り受け、TOKIOのメンバーが渚の再生に挑むという「DASH海岸」に出演されている海洋環境専門家・木村尚(たかし)さんは横浜出身。どのような経緯から“海つくりのプロ”になったのか!? これはキニナル!
木村さんはDASH海岸に出演中(日本テレビHPより)
ダメ元でご本人に取材を申込むと「OK」との返事が! 驚いて思わず「え?」と呟く松宮。・・・いや、驚いている場合ではない。休みなく各地を飛び回る忙しい木村さんにスケジュールを調整していただき、早速インタビューを敢行!
木村尚さんに突撃!
木村尚さんは1956(昭和31)年、港北区綱島生まれ。幼いころの綱島は「家がなく、田んぼだけで早渕川から富士山が見えた」という。
平沼橋にある事務所でお話を伺った
木村さんが小学生だった、昭和30年後半から40年代の綱島には多くの旅館があった。そのため、家業で旅館を営んでいる同級生がいたそうだ。旅館でかくれんぼをすると「なかなか見つからなかった(笑)」らしい。
確かに、旅館は隠れる場所が無限。探すのも大変だが、隠れる方も見つけてもらえない可能性大。・・・かくれんぼをするにも“超気合いが必要だった”にちがいない。でも、楽しそう!
木村さんが海に関心を持ったのは4~5歳の時。幼いころ遊んだ東京湾と石川県能登半島が原体験だという。
本牧ふ頭から眺める東京湾
当時、木村さんは母方の親戚を尋ねて上野駅から夜行列車に乗り、石川県能登まで1人旅をしていたとか! たった4~5歳の子が「能登まで1人旅をするとはすごい!」と驚く松宮。すると、「(今とは違い)昔はのんびりした時代だったんでしょうね」「冷凍みかんと一緒に旅してた(笑)」と木村さんが答えてくれる。ちなみに、危険な目に遭ったことはなかったとのこと。
やはり海が一番似合う!
「海へ行くと、漁師さんが遊んでくれた。それが海を好きになったきっかけ」と木村さん。
「海や川をきれいにしたい!」地元への想い
海好きに育った木村少年は神奈川県立鶴見高等学校へ。木村さんが高校へ進学した昭和40年代半ば、当時の鶴見川は「今とは違い、かなり汚かった」という。なので「かっぱも泳げぬ鶴見川と呼ばれていた」そうだ。海(東京湾)もはるかに汚かったそうだ。
そこで、「なんとか川や海をきれいにしたい!」と東海大学海洋学部に進学。だが、当時は現在のように環境問題への取り組みや意識が高くなかった。そのため、海洋学部を卒業した学生の就職先はコンサルか研究所が主流だったという。
大学を卒業後、木村さんは海の調査やコンサルティングを行う会社に就職。しかし、「独立したい」と28歳の時に知人3名とともに海洋環境調査会社を起業したその後、横浜市が1994(平成6)年から1998(平成10)年まで行った海域環境創造(シーブルー)事業に参加。
40歳の時に「人生は一度きり」「幼いころからの夢である海をきれいにしたい」と会社を辞める。そして“東京湾をきれいにしたい”との想いから、2000(平成12)年ごろよりワカメの育成による水質浄化やアマモ場再生活動を開始。ワカメは海水中の窒素やリンを吸収するため、水質を浄化する機能を持っている。アマモは育つと魚介類の産卵や生育の場になる海草の1種。アマモ場とは、アマモが育成する場を指す。
「海をきれいにしたい」という想いからさまざまな活動を行っている