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横浜に根ざした舞台を中心に活動する、五大路子さんを徹底解剖!
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横浜のココがキニナル!

横浜市神奈川区 新子安駅近くの遍照院という通称 踏切寺というお寺。お寺の境内の真ん中を鉄道が走っていて踏切まであるのですが、なぜこんな事になっているのか調査お願いします(へこみんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果

国道上に敷設する当初の予定を専用軌道新設に変更したものの、地形的に国道と国鉄の隙間しか場所がなく、山門前を通過することになったと思われる

ライター:永田 ミナミ (2014年07月04日)

踏切寺と呼ばれる理由

投稿にもある、通称「踏切寺」と呼ばれる遍照院(へんじょういん)は新子安駅から生麦駅方面に500メートルほど行った場所に位置する、高野山真言宗寺院である。
 


東海道本線と京急本線の線路の間隙を縫うような場所にある遍照院


横浜駅~品川駅間でデッドヒートを繰り広げる東海道本線と京急本線のなかでも、神奈川駅~生麦駅の間には何ヶ所か両線にはさまれた場所が存在し、特に子安~生麦間にはまるでツバルの島のように細長い地域がある。
 


ツバル、フナフティ環礁のなかで最も人口が多いフォンガファレ島
 

生麦駅付近のツバル的地域(緑枠部分)
 


子安駅付近のツバル的地域(緑枠部分)

  
遍照院も、最も狭い部分ではないものの、そのような東海道本線と京急本線にはさまれた地域のひとつであり、参道は下の地図のように、すぐ南にある第一京浜(国道15号線)から延びている。
 


そして山門の位置がこうなっているということは
 

第一京浜からはこんなふうに見えるわけで
 


近づいてみると山門の直前にこんな感じで踏切があり、などと言っていると
 


さっそくシャッターチャンス到来
 

やあ、すごかった。車止めがここに置いてあるのも納得、などと言っていると
 


ふたたびシャッターチャンス到来

 
といった感じで頻繁に大迫力通過シーンを見ることができるので、もはやチャンスではなく撮り放題であり、「踏切寺」の名前で呼ばれるのも納得なのである。

ちなみに以前、別の日に訪れたときに出会った男性はこんなものではなかった。
 


警報機の音と同時に軽快に踏切を駆け抜け
 


振り向いて静かにカメラを構えると、晴れて光量が充分だったとはいえ
 

山門と車両がしっかり映った、微塵もブレのない写真を撮ってのけたのである


さて、降りしきる雨のなか「写真を撮ってすごかったな、と感心していると遮断機が閉まる」を何度か繰り返したあと、ようやく踏切大接近通過に慣れてきたところで約束の時間になったので、警報機の音を背に山門をくぐった。
 


踏切の向こうに立つ山門は趣き深く、歴史を感じさせる




なぜこんなことに

遍照院が「踏切寺」になった経緯についての記述がないかと、いままで読んだ京急に関する資料をいくつか読み返してみたが、残念ながら、触れられていないか記述があっても「踏切寺と呼ばれている」という程度しか書かれていなかった。
 


フルネームで呼ぶなら「生麦第4踏切寺」になりそうだ


京急にも土地使用などについて、遍照院との関係を問い合わせてみたが、「個々の関係につきましてはお答えいたしかねますのでご了承ください」とのことだった。
 


「個々の関係」とはいったい何だろう


京急によると踏切を通過する快速特急は時速120kmであること、また、京急に残る資料に「1942(昭和17)年11月、生麦第4踏切について、当時は北側の隣駅がキリンビール前駅であったため“キリンビール前第2踏切道”として記載されているなどはわかったが、ここに線路が敷かれ、踏切寺が現れた経緯についてはわからないままだ。

ちなみに、京急の川崎~神奈川間の開通は1905(明治38)年12月24日であり、『横浜市史稿 仏寺編』によると遍照院の開基は後花園(ごはなぞの)天皇時代(1428~64年)なので、おそらく踏切は1905(明治38)年から存在していたものと思われる。
 


「踏切寺」誕生の謎についてはとにかく資料と情報が非常に少ない


『横浜市史稿 仏寺編』には、遍照院が1868(明治元)年1月7日の 神奈川宿火災で山門を残して焼失、1909~1910(明治42~43)年に堂宇(どうう)再建を遂げたともあった。そこで1905(明治38)年開通との関連についても確認してみようということで、この日、遍照院を訪ねるべく山門をくぐったのである。
 


お忙しいところ時間をつくってくださった遍照院第44代山本住職


室町時代の1458(長禄2)年開基の遍照院は、もともと入江川に近い現在の一之宮社のあたりにあったが、徳川家康が江戸に入国した1590(天正18)年、東海道沿いの現在地に移転したという。

東海道のすぐ向こうが海だった当時、遍照院の敷地は東海道(現在の第一京浜)を渡った海辺まであったといい、現在も第一京浜の海側に遍照院の土地は残っているそうだ。
 


江戸時代、東海道のような大街道の道幅は6間(約10.8m)ほどだった


江戸時代後期、1786(天明6)年7月に火災で堂宇、什宝(じゅうほう)、古記録類などを焼失するが、山門は残った。その後、数代かけて寺院再建がおこなわれたが、今度は1868(明治元)年1月7日の神奈川宿火災でふたたび山門を除いて焼失することになる。

山本住職によると、山門横にある、横浜市に名木古木指定されている樹齢200年以上のイチョウの木が、山門を火災から守ったのではないか、とのことだった。
 


火に強い性質を持つことからイチョウは江戸時代、火除け地に多く植えられた


神奈川宿火災の後、堂宇の再建がおこなわれるのは1909~1910(明治42~43)年なので、もしかしたら一時的に廃寺のような状態になっていて、その間に京急が開通したのではないかと思ったりもしていたが、そうではなかった。再建までの間は焼失を免れた山門に本尊を祀りながら、寺院は存続していたそうだ。

火災後、本堂の再建はまだ行われていないながら、遍照院としての敷地は昔と変わらず存在していたが、京急(当時は京浜電気鉄道)の敷設工事開始に際し、山門の両側の線路が敷設された土地は売却。山門前の幅4メートルの敷地は無償貸与することで鉄道事業に協力した、というシンプルな経緯が真相のようだ。遍照院には土地の売買契約書も残っているという。
  

なぜ線路が山門の前を通っているのか≫ 
 

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